2016年2月19日金曜日

小櫃川流域の高宕石製階段:君津市箕輪 熊野神社

高宕石の産地は小糸川の流域に在るので、この川の流域の石材採用状況分布を調べていたのだが、フト思いついて、やや東側の小櫃川沿いの神社でも使われていないか調査をしてみた処、以外にも数多くの神社の階段で使われている事が判った。
以下は、現在は参道と拝殿を改修して、参道には全く使われていないのだけれど、かって使われていた高宕石の階段石を廃棄しないで境内の片隅に残していた例を見付けた例を御案内しよう。

境内に置かれていた石材の数は結構な数であった。



苔むした石材の表面に貝殻片が見える。

形状は、石射太郎の石切場近くで観察したものと全く同じで、背面をしっかり盗んでいる。

たまたま、当日は神社の祭礼の日で、あまり時間は無かったけれど氏子の方々からお話を伺うことが出来た。現在の形に、階段石をコンクリート製に改修したのは35年ほど前の事だったらしい。
しかも、階段石は全てこの画像に示した通り、背面を盗んでいて、普段のちょっとした修繕の時には軽いので結構楽だったとのお話も伺う事が出来た。
この石材が仏塔等にどのように使われたかと言う先行研究が実は存在する。この先行研究では、高宕石と共に、やや南の鴨川に近い地域に産出した七里川石と共に調査が行われていたのだが、仏塔の類に比べると、階段石はかなり広い範囲において使われていた事が判明したのは興味深い事でした。
この日は、木更津市と君津市で6か所の神社を巡り5か所でその使用を確認できた。地図で階段の段数が多そうな神社ばかりを狙って回ったので、正直一日の予定が終った時は足がガタガタだったので、帰途は鴨川経由として、太平洋を眺める展望風呂で体を休めてから帰宅した。

この神社は、地域の支える力が強い様で、車も直ぐ傍まで入れるように改修されていて、氏子だけでなく神主殿も車で参集しておられた。

使われている石材とその想定される産地:
貝砂を含む石灰質凝灰質砂岩~砂礫岩で、明瞭な斜交層理は観察されない
高宕山山系の石射太郎山

資料整理番号:No.122254-12,最新観察時期:2016年02月11日
地理院地図10進座標系:35.312473,140.0769283



2016年2月17日水曜日

君津市内のある神社で観察した伊豆軟石

高宕石の分布を調べながら君津と木更津の神社を巡っていると、ある古い神社の境内に、比較的保存の良い石造りの祠のようなものを見付けた。

細かな細工もしっかりしているが残念ながら建立時期が見つからない。村の氏子殿が建設した事はこの画像の手前の階段脇の石柱に刻まれている。木造の拝殿はかなり傷んでしまっている。
この手前の石段とその脇の小さな石の祠(?)が、更に興味深い。
含礫緑色凝灰岩製である。

しめ縄の上を拡大すると

階段は、普通の階段石では無く、間知石が用いられている。間知石の一個の幅は28-30cm程度。

何れも礫を含む緑色凝灰岩なので、この付近で主に使われている高宕石とは全く異なるし、房総半島産出の石材とも思えない。しかもここに至るまでの数百段の階段石とも異なるのである。
小さな破片が階段脇に有ったのでサンプルに頂戴して来たが、洗浄すると緑色凝灰岩の特徴が良く判る。

さて、一体いつの時代に、ここに運ばれて来たものやら?神社縁起を調べてみようと考えている。

2016年2月14日日曜日

高宕石の中の礫

高宕石の観察を指導・案内をして下さって居る友人が、笠石(東側の)付近で風化により母岩から脱落した比較的大きな礫を採集して来て下さったので、岩質を見る為にその内の2個を少しだけ研磨してみた。何時もの様に#1,000の研磨で止めた。
最初は集合写真。既に研磨した礫も混じっている。

赤茶色のものは似た者同士と言う感じだった。前回、石射太郎の南西側の「笠石」で採集した含礫砂質凝灰岩の中の礫は殆ど泥岩の偽礫だった。今回は見立てを「流紋岩」としたのだけれど・・・

研磨し始めて直ぐに判った事はこの粒子は「凝灰岩」だった。とにかく柔らかい。拡大して観ると良く判りますね。見立てが違ったので、もう一つ研磨してみると、これも想定程には硬くなく、サクサクと研磨できたのだが、これは流紋岩だった。但し、石英が少ないというか、殆ど見当たらない。

フィールドで、石質を見るのは実に難しい。