
2011年2月12日土曜日
房州石・古墳(C-2)素盞雄神社

2011年2月11日金曜日
房州石・古墳(C-1)素盞雄神社

荒川区立ふるさと文化館発行の展示会資料「発掘!あらかわの遺跡展」の40頁に「荒川区では、南千住の素盞雄神社の瑞光石、および東尾久(微高地としては町屋)の下尾久石尊社が房州石であると思われます。これらは石室石材に由来するものである可能性があります。」と記載されています。
2011年2月10日木曜日
房州石・古墳(B-2)赤羽台3号古墳

それほど硬い岩石では無いし、副葬品に金属製品が使われている状況なのに、少しは、凸凹の表面を整形するとか試みなかったのでしょうか?石組みの間の隙間が空き過ぎたら土砂が石室に流れ込んでしまうでしょうから、石組みには多少は工夫をしたのではないかと思いますが、「高貴」な方の埋葬場所としてこれほど穴あきの岩石が、しかも石室の内面に使われた事に何か意味が在ったのでしょうか?この穿孔貝の生痕化石が、何らかのメッセージを秘めているのでしょうか?
方や刀剣や様々な宝飾品を作る技術を持ちながら、石室の内面を、例えば粘土で滑らかな壁に仕上げるとか?そんな工夫は要求されなかったのでしょうか?
それにしても、この様な様相の岩石に対して、足利や金谷の街の風景の中に見て頂いた房州石と同じな前を冠して呼ぶのに相応しいと思われますか?
2011年2月9日水曜日
房州石・古墳(B-1)赤羽台3号古墳

生痕化石については、例えば「生痕化石調査法」(地学団体研究会 1993年)が価格的にも手頃(1275円)な書籍なのですが、残念ながら扱って頂ける書籍販売店が少ないので入手は難しいかもしれません。熱血情報は捕まらなかった!
2011年2月8日火曜日
房州石・古墳(A-9)金谷の街で

房州石が建材として使用されてきた事例のご案内は此処までです。房州石と呼ばれて来た岩石のイメージがお判り頂けたでしょうか?尚、平塚市博物館の石材図鑑(平塚の街でみられる地球の歴史)⇒凝灰岩類2のコーナーにも房州石が紹介されています。
明日からは、考古学で言う処の「房州石」が、私は「富津磯石」が適切ではないかと思っていますが、実際に古墳の石室や、古い遺跡に使われている「穿孔貝の生痕化石」がある泥岩と砂岩の例をご案内します。
2011年2月7日月曜日
房州石・古墳(A-8)金谷の街で
2011年2月6日日曜日
房州石・古墳(A-7)金谷の街で
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