コロナ禍の影響で、雪崩の様に積み重ねて何が何処に有るか判らなかった凝灰岩に関する資料類がやっと整理出来て、文献の名前だけでは中身を思い出せないのでとうろう、文献リストにその主要テーマを追記して、エクセルに整理し検索出来るようにしてしまった。正に「忘備録」です。整理がついた書棚に「郷土の歴史 上田城」(A5版 168頁)がやっと納まって、購入後何年経ったか判らないがやっと目を通す事が出来た。上田城の石垣や表口の土橋に復元された「武者立石」等に凝灰岩が使われていて、この産地に関してこのガイドブックに資料が掲載されていたので、やっとデータを整理出来た次第。
地図の中央やや下の紫色の円が上田城の位置。緑色の左手が虚空蔵山(1077 m)と太郎山(1164 m)で、古来石材を切り出した山として知られている山。橙色は石切に纏わる地名が残っていたと云われる場所で、恐らく石工集団の居住地域と目されている場所。
赤丸は近年になって、表口土橋にある「武者立石:出陣時に此処に並んだ?」を修復する際に、丁度、砂防ダムを建設中だったので、ここから凝灰岩を切りだして用いた場所。
上田菅平ICから北に進んで菅平湖に向う「菅平口」の分岐を過ぎ、通行止めの旧道分岐に入ると「枕状溶岩」の露頭が在る場所だ。
二枚目は地質図:虚空蔵山と太郎山の山名が見えるが、この「太郎山」は「太郎神社」のある方では無くて途中のピークの一つ。この付近は「枕状溶岩」のメッカ「内村層」の分布領域で、太郎山周辺は「大峯山部層」の「頁岩と凝灰岩」。大峯山はこの地図の領域の北側にそびえる。虚空蔵山の方は太郎山部層に属し「凝灰岩・凝灰角礫岩及び頁岩」。山麓側の“Yk”と書かれた部分は「横尾部層」の「緑色凝灰岩・頁岩及び凝灰質砂岩」
表口土橋の上に築かれた「武者立」。三段にどの程度の密集度かしらないが、鎧を付けた武者が三列に並ぶには随分窮屈そうだ。この石材が最初の地図の赤丸の砂防ダム構築現場から採掘された凝灰岩だと記録に残っている。
城内の神社の玉垣とその下の基壇石組も、「武者立」の石材に似た緑色凝灰岩が使われている。
玉垣の柱の石材を良く見ると、斜めの筋目が入っている。
石垣に使われた凝灰岩質石材が比較的まとまって組み込まれている場所。黄色の階段状の絵は、拡大すると節理を利用しながら掘った「矢穴」が並んでいる様に見える場所。
尚、「坂城地域の地質」(1980)に拠れば、「内村層太郎山部層」の凝灰岩は「淡緑色の凝灰岩や凝灰角礫岩からなり,一部黒色頁岩をはさむ.虚空蔵山付近は,淡緑色で節理が発達するがかなり固結した凝灰岩が殆ど」と記載されている。どうやらその手の凝灰岩らしい。勿論、石垣には安山岩系の岩塊も用いられている。
この岩塊にも二面に矢穴と思われる、単なる破面にしては不自然な凹みが観察される
黴で岩相が良く見えないが、矢穴が加工されたままの岩塊。狙った方向には割れなかったのだろう。
資料館の玄関前に展示されていた堀の水位を調節する水門の枡形石。これは節理が目立たない緑色凝灰岩が使われている。隣のステンレスかアルミの骨組みは普通の傘立てでスケール代わりに写し込んだもの。
石垣は観察していて飽きない。観察する方に夢中になってこれで酒を飲む事は出来ないが、上下の大きな岩塊の間に小さな岩塊を詰め込んだとて、荷重は集中荷重になって旨く分散されないとおもうのだが、鉄路の砕石と同じで却って地震などの時には撓んで揺れを和らげるのだろうか?等と考え続けていると一日がおわりそうだ。
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