今日の地図はかなり広域です。銚子半島や利根川から西側は匝瑳市まで入っています。中間の白い線が、大まかな旭市と匝瑳市の境目です。緑で囲んだ部分が屏風ヶ浦。左端の赤い点の辺り、匝瑳市の段丘崖の上に西光寺と言う古刹が在ります。この西光寺の境内に屋根に保護されて下総型板碑が鎮座しています。かなり大雑把な分類ですが、「常総型」と言うと、この白い板碑を無視して筑波の泥質片岩が素材のものを指し、「下総型」と言うと、両方が含まれるようです。白い板碑は「飯岡石」と云われ緑で囲んだ「屏風ヶ浦」の崖が浸食されて海岸に落下したものを、利用するパターンです。
白い板碑と言っても、所々に「あばた」が在ります。これはかなり共通した特徴で、大体文字を彫刻施した側に在り、裏側ではほぼ観察されません。裏側は生痕化石があり。線状の凹凸のが有るので、浅い薬研彫の板碑には邪魔になり使えないのです。
板碑の説明です。現在は「匝瑳市」ですが、この説明が置かれた時期には「八日市場市」と「匝瑳市」が合併する前でした。
「あばた」の部分の拡大です。黴が生じているので、白っぽいですが実は火山の噴火の際に飛散するスコリアです。
緑の楕円で示した屏風ヶ浦を銚子の「地球が丸く見える丘公園」の屋上から見た風景です。白い筋目で判るように地層が西下がりの緩やかな傾斜で下がっている様に見えます。
静かに堆積したように見える地層も、黄色の線で示したように、台地の変動は大きく影響を与えており、地層がぐにゃりと折れ曲がってしまった場所もあります。地層が積み重なって現在まで平坦な時間の経過だけでは無かったようです。
崖の上の方を見ると、所々に白い地層が崖面から少し出っ張っている所があります。この部分の突き出し量が大きく成り過ぎるとポックリと折れて落下してくるようです。
「あばた」がどの様に出来るのか簡単な説明です。「あばた」を「荷重痕」と言います。この画像は内房の勝山の海岸で撮影したものですが、まだ固まっていない地層に何らかの力が加わると上下の地層の平行が崩れて尊境目がこの様に波打って見える状態になります。これを「火炎」構造と呼びます。
火炎構造を、上の粗い地層を取り除いて立体的に見るとこのように凹凸が出来ています。、ここまで極端ではありませんが、「荷重痕」は上の地層が下の地層に少しだけ食い込んだ結果なのです。
⑪ 白い地層は大部分が石灰質の殻を持った「有孔虫」の小さな化石の積み重なったものですが、上にスコリアと言う火山砕屑物が層を成すくらいなので、白い地層の中には、火山灰起源の「火山ガラス」が含まれている事があります。破面を観察するか、破面を希塩酸で腐食して少しだけ取り除いてやると、顕微鏡で火山ガラスが良く見える様になります。
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