2020年5月5日火曜日

岩石と地層の表情:005;外川漁港;紀州漁民が築いた町並み

銚子電鉄の終点に外川の街が開けています。黄色の線で囲んだ辺りが外川の街です。
外川の町並みは、自然発生的に広がった町並みでは無く、寛文年間(1661~1673)に紀州漁民のリーダーであった治郎右衛門が、外川の漁港に防波堤を築き、次いで、町並みの区分を定めて、傾斜地に港に真っすぐ向かう車力が擦れ違う事の出来る(左側通行だったそうです)砂岩を敷き詰めた道路を造り、ひな壇の様な居住地には同様に、砂岩の擁壁と横に走る道路網を作った事に始まります。

二枚目の画像が「木国会史(紀州出身の方々の親睦組織:「木国会」の歴史です)」に掲載された当時の市街図です。

この外川の町並みをのんびり歩きながら、銚子砂岩を観察する事が出来る訳です。砂岩だけでは無く時には真っ黒な玄武岩も有りますし、港の擁壁の中には貝化石が含まれた
砂岩も含まれています。

道路面は既に舗装されていますが、この様に様々な積み方の擁壁があります。

傾斜道と交差する、人がやっとすれ違う事の出来る横の道沿いには、黒黴や地衣類が着生していない砂岩石垣が観察される事があります。

石材の中には直方体に成形されたものや、海岸で採取した穿孔貝の巣穴の化石が残ったものも含まれています。その内、この穿孔貝の貝殻の不思議もご覧頂く心算です。



漁港の比較的東の方の石垣に、化石が入った砂岩を使った場所が少しだけあります。前の地図で左側の(東端)の水色の円で囲んだ場所。二枚目の地図では「波止山」と書かれた場所から採掘された砂岩です。波止山の採掘跡は漁労具等が置かれており露頭に取りつくのは困難です。入って行くと誰も居ないと思っていても「化石は採れないよ!」等と声を掛けられることも多いようです。

貝化石の入った部分の拡大図です。千葉県立中央博物館の地学展示室に、断面を研磨した化石入りの砂岩が展示されています。貝の名前も記載されています。

これは「トリゴニア」という二枚貝の化石の残影です。

化石を含む砂岩が使われている場所のヒント画像です。

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