2018年8月19日日曜日

火山列島日本展:OPTガイダンス:野田市内で見る石材 (2)


さて集合場所の愛宕駅とツアー場所の位置関係と、まだまだ続くガイダンスの為に、愛宕神社境内(+その他の寺院と神社)の施設配置と勝軍地蔵堂で観察出来る主要石材をご紹介。
赤矢印が入口:図のほぼ左半分が観察フィールド。真っ直ぐ西光院への参道を直進しながら左手の庚申塔を観察しながら「道祖神社」と書かれた辺りまで進む。この付近は次回に説明の予定。「野田」と云う地名の最も古い金石資料も此処に在る。更に反時計回りに「板碑」⇒「勝軍地蔵堂」⇒秋葉神社横の築山⇒愛宕神社脇を通り舞楽殿⇒愛宕神社と云う処か?

野田は利根川・江戸川・利根運河と三角形の三辺を水の流れに囲まれた地域でこの地図の範囲が「野田醤油」の中心地。チョット不便だが時間が有れば「上花輪歴史館:高梨家」には、更に多数の石材が観察出来るし、古い姿も残っているが時間的に厳しいので別の日に機会が有れば是非どうぞ。健脚の方は野田市駅からキッコーマン本社脇の赤楕円で示す地区を歩くと古い屋敷も見る事が出来る。博物館脇の小さな赤丸は茂木家のプライベートな神社で立ち入り禁止。琴平神社も入れないかも?

前回の説明で、石垣から入った勝軍地蔵堂の正面。石垣の上は白く見える部分が、稲田の中野組石材工業殿が収めた(恐らく)稲田花崗岩。石材団地に大工場を建設し、稲田の石山は「想石」殿に移管した時期なので外材の可能性も否定できない。その上の灰色の部分は石巻の井内石(仙台石)の外構。

稲田の中野組石材工業殿が採石を行ってきた石切り場。現在は「想石」殿がこの敷地内で加工を行い、採石は奥の山で行っている。右手の白く光る部分の段差は 2 m 以上あり、ガスバーナで切断していた

火成岩では無いが井内石(仙台石)の画像を少し御案内しよう。地蔵堂の外構は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けている。外構部分は井内石を用いて復旧されているが、堂宇の背面にはこの震災に触れた碑文が刻まれている

井内石は基本が「砂泥互層」である。細かな砂泥互層を生き抜いた生物が擾乱して砂層と泥層を離れがたいものにしている。黒い点の様なものはその生物擾乱の痕跡です。石巻市八幡町の拝幣志神社境内で撮影

井内石は石巻市の北上川河口付近の左岸で採掘されていた関係で北上川(ガードレールは北上川の護岸部)の脇には、今でも石材屋さんがずらりと並び、露頭も見えます。現在はこの左手の牧山の奥で採石しています

勝軍地蔵堂の左手奥に、一枚の板碑があります。残念ながら折損しており、コンクリートの型枠に固められていますが、永享五(1433)年弥陀種子板碑です。石材は秩父の緑色片岩だろうと思われます。集合場所の愛宕駅前で発見されたものです

地蔵堂の前の在る手水鉢(水盤)は、真鶴町の山側で採掘された本小松石の赤だと思われます。明治三十八(1905)年一月に石工「杉崎弥八」により造られたものです。杉崎弥八については興味深い資料が調査公開されています

愛宕駅ホームからの風景:野田線は現在単線でこの付近は高架による複線化工事が行われています。改札は東西二ヶ所あり県道側に開口しています。跨線橋は一番奥にあるので、反対ホームに移動するのはとても不便です

続く

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