「勝軍地蔵堂」基壇に使われた礫混り緑色凝灰岩。石垣に良く使われる石材ですが、やや軟らかく、風化に対する耐候性は同じ伊豆の礫混り緑色凝灰岩よりは劣りますが、形状を造りだす時にはこの軟らかさが遊離です。

礫として含まれる岩片の種類は様々ですが、この様に杏仁(きょうにん)構造を示す火山岩片は比較的目立つ事も有り良く観察出来ます。熱水変質を被って安山岩などの岩片の中の気泡は、この様に沸石や瑪瑙等で埋められています。この手の火山岩片は良く見掛けます。

含まれる礫の大きさもまちまちです。これは比較的大きい方です。撮影した日の天候が良過ぎて色合いが正確に出来ません。

スケールがありませんが、この様に小さな礫が多数含まれている切石もあります。ハンマーで整形した跡が良く見えます。


地蔵堂の基壇は比較的低い方で現在は此の上に花崗岩の敷石が有り、その上には平成二十四年に再建された変成岩の宮城県石巻産の「井内石・仙台石」の低い塀が建てられています。其処には東日本大震災の記憶が刻まれています。これはまた別の回に。

残念ながらこの石垣の正確な建設時期は不詳です。基壇裏手の階段の傍にこの様な標柱が建てられており、此処には「明治三十三年六月再築」(1900)と刻まれています。

明治二十七(1894)年に東京湾北部を震源とした「明治東京地震」がありました。東京都内と神奈川方面に被害が集中していた地震ですが、隅田川,荒川或いは元荒川流域では液状化が記録されているのでこの時の被害からの修復であったと思われます。
続く
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