今日ご案内する範囲は、西光院の参道を抜けて、勝軍地蔵堂は初日に済ませたので、勝軍地蔵堂周りのから西側の築山と愛宕神社本体は最後に取って置く事にして、額堂裏を通り舞楽殿までの範囲です。愛宕神社本体とこの額堂は明日の予定。補遺を加えてあと二回程度ですね。今日の画像は12枚。
石碑と云えば、最近は輸入物の黒御影(斑レイ岩)等に押されていますが、明治以降は石巻の井内石(仙台石)ですが、江戸時代から使われていた石碑石材として、根府川石と本小松石が有ります。何れも似た形状で彫刻面の広さに比べて板の厚みが薄いので扱い易い事。冷却節理で表面が硬いので刻銘文字が崩れないことです。
根府川石の採石場風景です。現在は採掘はせず、「採掘されたものを道路脇に並べているので良ければ買って下さい」方式です。根府川駅から 4WD でやっと上り下り出来そうな悪路を辿って辿り着きます。
後で画像を出しますが、根府川石と本小松石が結構混同されて使われています。根府川石には破断面にこのような流離構造が観察されるので、簡単に見分けが着きます。同じ箱根溶岩なのに面白い特徴です
本小松石の採石場風景です。同じ様な冷却節理が際立っていますが、時々採掘される大きな岩塊が墓石の素材になります。近くに加工場も有ります。
本小松石(青)の破断面です。目が細かく詰まっていますね。
本小松石でも少し粗い目のものが有ります。これは磨いて暫く置いておくとこんな風に模様が出て来ます。普通は油を塗った様な模様が出て来ます。墓石を良く見ていると文字を刻んだ周りにこのようなものが出ている事が有ります。
勝軍地蔵堂の傍に、大師堂があります。中を撮影したものですが、台石は多分安山岩でしよう。大師様は大体、粒状の凝灰質と砂粒程度の火山砕屑物の混ざったものです。同じものが参道脇で使われています。
勝軍地蔵堂から西側にこの様に築山があり、境内社が三社祀られています。此処には古い廃材等も置かれている事が多く、石材調査には欠かせない場所ですが、当日はここまでゆっくり見ている時間は無さそうです。
一つだけ、これまで出て来なかった石材がありましたね。「松尾大社」の石碑が緑色片岩です。
信徒会館の脇から額堂(鳥居の左側の建屋:礎石は小松石)の裏手を回ると舞楽殿に達します。額堂は愛宕神社の基壇から回ります。舞楽殿の礎石に少し触れておきたいので此処に御案内します。画像の奥に築山の鳥居が見えています。
舞楽殿の礎石には比較的斜めの線が顕著な(ラミナと云いますが)石材が使われています。ルーペで見ると貝殻の破片のようなものがびっしりと詰まっています。裏手に切石があるのでそれで観察出来ます。恐らく、安山岩の次に大量に運ばれたのがこの石材だろうと思います。殆どが我々の目に触れない礎石に使われますが、結構目立つ基壇の角や笠石、にも使われています。神社の板塀(玉垣)の礎石にも使われています。
野田市内の高梨家「上花輪歴史館」傍に置かれた同じ石材で、醤油工場内の重量物を置く床に敷き詰めたものの様です。30 x 35 x 80 cm のサイズなのでざっと 180 kg は有りそうで、ずらりと並んで置かれています。
続く
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