三回目の今日は案内図の西光院山門の赤矢印から入って本堂前の広庭に出るまでの参道部分をご紹介する。石材は主として安山岩だがこれにも色々あるぞ!と云った処を、庚申塔や青面金剛像、基壇や念仏講の姿を観察しながら歴史にも触れる。画像別に説明を記載しているのでご覧あれ。今回は15枚
山門を入ると左手に愛宕神社の旧参道と鳥居が建っている。此方には入らずに参道を直進するが、この古びた鳥居は安山岩製で千葉県下では二番目に古い鳥居とされている。元禄七歳甲戌十一月吉日とある。1694年である。
処で、これが二番手ならば、一番古い鳥居は何処に? 佐倉市大佐倉の将門山 口の宮大明神の鳥居が同じ安山岩製で50年前の承応三甲牛天十一月吉日に建立されている
文字庚申塔。安山岩製で、風化に拠り流離構造らしきものが観察される。建立は嘉永七寅年、1854年 年号は石碑の左右に書かれる事が多い。
青面金剛像塔。安山岩製。右側の錫杖脇に建立の年号が刻まれている。享保三戊戌年十一月は1718年。今から300年前のもの。年号を読み取るには干支が頼りになる。
円柱型の文字庚申塔は比較的数が少ない。材質は安山岩であろう。これは建立年号を読み忘れ。
失礼して青面金剛文字塔の下部だけを抜粋。「剛」の文字の下に鶏のつがいが一組、更に下には猿の親子だろうか?庚申塔はこの様な彫刻も面白い。
この文字が読めない石塔は凝灰岩製。粒状の凝灰質と砂礫サイズの火山砕屑物から構成されており、小豆色の砕屑物が含まれるのが特徴。新鮮なものでは粒径の変化でラミナが描かれている
足元に散乱している四角錐のこの岩は石垣や境石として用いられる「間知石」で礫混りの緑色凝灰岩。勝軍地蔵堂の石垣で紹介したものより硬い事が破面の形状で理解される。基壇に組まれた状態をこの後観察出来る。
左手に一際高い石祠が聳え立つ。上部構造は安山岩だが、この下部の基壇の裏側に回って使われている石材を観察して頂きたい。
礫混りの緑色凝灰岩の間知石。参道脇で観察したものが正しく組まれるとこの様になる。木陰で直接風雨を受けずに済み、乾燥しているとこの様に美しい状態が保たれ易い。
礫混り緑色凝灰岩に時折観察される杏仁(きょうにん)構造を持つ溶岩片。白い部分は瑪瑙か沸石か?
基壇に組まれた同じ緑色の石材にもこの様に縁取りされた石材が含まれている。これは前に観察した風化でやや残念な御姿になっていた石塔に使われた緑色凝灰岩と同じ石材。硬さにかなりの幅が有る。小豆色の小礫が観察される。
落ち葉の中に半ば埋もれた様な淡緑色の角柱が何本か放置されている。これは礫が大部分でその隙間を淡緑色の凝灰質が埋めている。間知石に用いられたものと異なり礫は大小様々だが種類はほぼ一種類。礫の境目でぽっくり大きく割れる
屋根掛かりの二体の石仏は安山岩製と思われるがこれまで観て来た石造物とはやや色が違う。その内の道路側の一体は、傍に説明板が有るので参照願いたいが、「野田町」の文字が刻まれた最も古い石仏。文字は錫杖の傍に
「野田町」の部分。彫は浅い。寛文二年(1662)年の造立。愛宕神社の鳥居よりも古い、
最後にご紹介するのは西光院の御本堂です。
続く【次回は木曜日を予定)
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