一頃の酷暑とは異なり、今日は日陰に居ると涼しい風が吹いてくるので、午前中はバスを上手く利用して岩槻の二つの神社を巡り、昼前に越谷に移動する予定だったが、東川口と岩槻を結ぶバス便は毎時一本以上は有ると思ったのが、肝心の釣上に在る神明社の前を通るバスが昼間は全く無いのに現地で気付き予定より 3 km 以上余計に歩く羽目になってしまい午後の予定は次回に回す事とした。最初の神社はネットで調べた通り、私的(凝灰岩質石材)には見るものも無かったが、お隣の愛宕山勝軍寺から始まって神明社までの道中では色々と面白い岩石を観察する事が出来た。
神明社は拝殿の基壇に伊豆の二種類の凝灰岩と溶岩を用いており、東側の側面の石材が風化の影響も有って石材の観察には適した状態で在った事や、享保十四年に奉納された手水鉢(水盤)の願主に江戸・小石川の所在が刻まれて居たり、その石工は江戸浅草俵町の「半右衛門」であるなど興味深い観察が出来た一日であった。
拝殿の西側側面:基壇の最上段には溶岩系の石材が使われ、地表に現れているその下四段の内、上二段は礫混りの基質が淡い緑~薄黄色のやや軟らかい石質の礫混り凝灰岩、下二段は比較的丈夫な細粒の緑色凝灰岩が使われている。基壇の外形は 5.4 m x 5.5 m x 1.1 m高。
石組の一部:最上段には溶岩系、上二段は礫混りの基質が淡い緑~薄黄色のやや軟らかい礫混り凝灰岩、下二段は比較的丈夫な細粒の緑色凝灰岩。石材は高さ18cm と 20cm 程度。
礫混り緑色凝灰岩の例:やや熱水変質の程度が軽微で硬さに不足しているので風化に拠り表面が剥離している。
礫混り緑色凝灰岩と下段の細粒の緑色凝灰岩の組み合わせ。左手斜めの石材は溶岩系。細粒の緑色凝灰岩の殆どは表面が初期の加工目を保持しているが数点は剥離している。
細粒の緑色凝灰岩で表面が剥離している例。部分的には未だ初期の加工目が残っている。
基壇の石工は「越谷〇本町 石工 長兵衛 同長治良」と読めると思うが自信が無い。文政九丙戌年八月吉日(1826)の銘も有る。
手水鉢:水盤はかなり立派な設えで、この側面には「神明宮、江戸小石川、施主 横山伝右衛門長矩、享保十四己酉年正月吉日(1729)」、相対する短面には「願主 當村住 中村次部左衛門英貞、江戸浅草俵町、石工 半右衛門」と刻まれている。
狛犬:狛犬は三対が参道を守る。これは最前面の見目麗しい江戸狛犬。資料に拠れば天保九(1837)年の建立と云う。参道の三対以外に狛犬を一対見落としたらしい!
燈籠:上部は昭和に改修された銅製の燈籠で珍しい。基壇には伊豆の凝灰岩三種が用いられている。「足立埼玉」の文字の在る段とその上が溶岩系。そのすぐ下は細粒の緑色凝灰岩。基壇の石組は角に石灰質凝灰岩が、その他は、細粒の緑色凝灰岩と本殿基壇に使われたものよりは硬質の礫混り緑色凝灰岩が使われている。他に安永二(1773)年の燈籠一対が参道に在る。
瓢箪池の八幡社:橋には「明神橋」とあり、御堂の額には「天〇上水」と読める。
境内社の階段:珍しくも無いと思われるかもしれないが、実は珍しい。伊豆の溶岩を使った階段はこれまでの観察では大部分が羊羹の様な六面体の石材の一部を重ねながら階段を造るものが多い。踏み板と蹴込み板が別のものは意外と少ないのです。
道標:恥ずかしい事に、この道標の直ぐ傍で神社の位置を訪ねてしまった。
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿