この神社は地域では比較的歴史が古い存在で、大宮の氷川神社から勧請して正治二(1200)年に創建されたと伝えられ、現在の社殿は天保七(1836)年の建築になり、建築・彫刻が有名だが厳重な金網で囲まれて撮影には不便な対象であり、更には本殿基壇の石材が塗装されて石材の判別が出来ないと云う残念な存在である。
拝殿・本殿を囲む基壇は、碑銘によれば明治二(1869)年九月に地元「中谷塚邨」の石工である「吉田金作」により築かれている。石工吉田金作はこの神社では、明治十四年に据えられた手水鉢(水盤)の製作にも関わっている。
基壇は部分的に大谷石で補修されているが、要部には石灰質凝灰岩、湯ヶ島層群の変質を受けた含礫緑色凝灰岩や粒状の凝灰質からなる緑色凝灰岩や水場には珍しく細粒の緑色凝灰岩が使われているのでご紹介する。
明治十四(1881)年九月に寄進された、上から見ると正方形の手水鉢の脚には、細粒の緑色凝灰岩が使われている。この緑色凝灰岩の硬さは多様で、彫刻用途から雨水周りまで様々な場面で使用される。
手水鉢の足元には流石にほんの少しだが風化剥離が観察される。現在は使われていないが100年を経てこの程度の風化であればかなり上質と言えよう。
拝殿と本殿を囲む基壇は明治二年九月に「中谷塚邨 石工 (吉田)金作」により築かれている。寄進者は舎人村,入谷村,遊馬村(あすまちょう:現草加市遊馬町;毛長川の対岸に位置する)。世話人:田中藤八,吉岡太兵〇,平棚儀友〇)
基壇の石材;基質がこの色の含礫凝灰岩は熱水変質の程度が低く、やや耐候性に劣る。
基壇の石材:淡緑色~緑色の含礫凝灰岩は破面を観察してもかなり硬い事が理解出来る。
基壇の石材:基壇の笠石の一部や角石には、淡褐色を示すこの石灰質の凝灰岩が使われる事が多く、ここでも数多く観察される。
基壇の石材:石灰質凝灰岩の風化した表面を観察するとこのような石灰質の生物遺骸(化石細片)が露出している事が多い。薄板状に積み重なり側面から観察するとラミナが観察される。
拝殿の礎石:基本は細粒の緑色凝灰岩だが、やや粒状の凝灰質からなる凝灰岩で火成岩の小礫を交える事も有る。
基壇;大谷石が補修に用いられた状況。柵は本殿を囲むもの、本殿基壇は塗装で石質は観察出来ない。
さて、明日は何処を彷徨うかな?
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