2018年5月29日火曜日

今日はいろんな人と出会った一日だった!越谷市内FW

武蔵野線の吉川からバスに乗り、松伏町上赤岩の浅間神社からスタート。調査がらみでは松伏町は今回が初めてだが、越谷市増林へは一番近いのでご挨拶がてら(?)一社だけ神社の調査をさせて頂いた。火袋が壊れて消滅している燈籠は緑色の斑点があり小豆色の火山岩塊が混じる伊豆の凝灰岩が使われ、

文久二戌年十一月の日付の「鋪石供養塔」の前に置かれた一枚の切石は下田産の石灰質の凝灰岩。

その切石表面の細かな凹凸は石材の長手方向に対し斜めに傾いている。

「ふれあい橋」を渡り、増林下組の香取神社は凝灰岩的には外れ、宝蔵院墓地も通過して、白山神社は小さな御堂の雰囲気。近所の方から、「白山神社は歯の神様だから、昔は歯ブラシが沢山置いてあってね・・・」と講釈をお聞きする。
境内右手には加藤様の石仏資料にも掲載されている「向い夫婦の奉納石塔」④は天保九(1838)年だから結構古い。

この神社の小さな社殿の前には、角もきっちりした、石灰質凝灰岩⑤の切石が三本置かれている。

時間が在ればここから前回起点にした「新方橋」方面まで歩きたかったが、丁度バスが来たので南越谷に移動。南越谷の西側の七左町二丁目にはお稲荷様が在り、周囲を新しい建築で囲まれているのが、木製の玉垣に隙間が在るのでもしや!と思って立ち寄ってみたら、殆ど改修されていたが、本殿の礎石には伊豆の、私が取り敢えず「げんこつ」と名付けている粗い石材が使われていた。

しかも、境内に建立されたこの神社の井内石(仙台石)の「村社稲荷神社 震災復興記念碑」の背面の奉献社一覧には、「鈴一個 越谷 木下半助」とある。

房州石の石蔵のある木下半助商店さんの事だろう。今度、越谷宿に行く機会が在ったら忘れずにこの事をご報告しよう。今日は調査の役には立たなかったが、様々な方から声を掛けられた一日だった。

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