2016年6月21日火曜日

東中山,羽黒神社の境内社礎石

駅の近くながら結構な大きさの木々が茂っていると思ったら、境内に明治37(1904)年に建立した根府川石とみられる石碑が有り「社殿新築紀念造林」と刻まれていた。112年前に植林したものが現在も大切に守られているらしい。
境内の鳥居と拝殿の間の参道に向き合って四体の境内社が祭られている。夫々、「妙見社」、「熊野社」、「天神社」と「摩利支天」である。屋根部分は安山岩系の石材が用いられているが、祠の本体は下田付近に産出する「石灰質凝灰質砂礫岩」であり、年号には「明治廿四年一月廿日と二月一日が刻まれている。房州石と比較し易い、石材で大変に広範囲に分布している。



背面側は平らなので石材の観察には適している。
背面の横幅は大体26cm程度。まずは全体像。

粗粒の部分を約半分の幅で切り取ると

同じサイズで、細粒の部分を切り取ると

砂泥互層の様な明瞭な境目は観察し難いが、石灰質の供給源となる貝砂やコケムシ或いは石灰藻等が偏るので、風化が進むと、何時までも残る部分と浸食剥離し易い部分の差がはっきりと出て来る。祠の台座(一体部分の)の部分が所々、水たまりになってしまうのか風化が進んでいて、剥がれた数ミリの破片が有ったので、希塩酸で確認すると、剥離片で有るにも関わらずかなりの発泡が確認出来た。年号を刻んだ部分もこのようにはっきりと残っている。1891年製だから125年経過。


使われている石材とその想定される産地:粒度分布が明瞭に分かれている。石灰質凝灰質砂礫岩;伊豆軟石;下田市敷根付近
資料整理番号:No.122041-02, 最新の調査時期:2016年06月17日
地理院地図10進座標系:35.713808,139.952710

0 件のコメント: