大正時代に現在地に遷座されたという千葉県内の大きな名前を名乗る神社での事。境内の玉垣の脇に布団を敷いて寝ているオジサンがいるので、本殿の礎石に使われている石材の調査が出来なくて困っていた。
鳥居近くの石積みを観ていたら幾つかに割れた比較的薄い千葉県内で云うと利根川沿いの木下付近で石材として利用されてきた「木下貝層」に似たものが出て来た。しかし、妙に薄く、断片だけが出て来たのでどの様な用途に使われたのか全く見当が付かない。肉厚の貝殻に見えるのだが、合わせの部分が見えないし、縞模様も無い。
段丘崖の斜面に造られた神社の石積みの脇を、目立たない様にほじくり返していたら、木の葉の葉脈が転写された化石が出て来た。なんという事は無い、葉の裏の舟状の部分に石灰質泥が溜まって厚みを見せていたらしい。
新旧入り混じった岩石が使用されてはいるが、このような薄い岩片を一体何に使ったのか、またその産地は何処なのか疑問が解けない。伊豆の下田の石灰質凝灰岩の露頭で木の葉の化石が溜まっていたのを観たという証言もあるのだが、今の処は謎です。
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