2011年12月25日日曜日
東北新幹線から眺めた那須火山
先日の仙台出張の折、珍しく火山列側の窓際の席を取る事が出来たので、望遠レンズを付けてカメラを出張荷物と共に持参しました。カメラに気を取られてか?名刺を持参する事を忘れ関係先との打ち合わせの時に少々恥ずかしい思いを致しましたが、何時観ても東北本線沿いの火山列は美しいですね。中央は勿論那須岳で、南側の南月山か白笹山のスロープも美しいですね。北側の三本槍や旭岳も、三斗小屋の大黒屋さんで湯に浸かり、甲子温泉までの縦走コースが楽しいコースです。
2011年12月23日金曜日
宮城に出張していました
二日間宮城県の多賀城に出張していました。これは往路に鬼怒川を渡りながら男体山・大真名子・赤薙・女峰山等を眺めたものです。初日は良い天候に恵まれましたのでまずまずの火山観測日和でした。でも高速で走行する車両からの撮影は結構難しいものですね。
多賀城では夕方から雪になり、二日目は雪の中を歩く事になってしまい予定の行動はとれませんでしたが、まずまずの地質観察が出来た様です。今日中に何時もの記事を再開します。
2011年12月18日日曜日
かわご平の溶岩
画像の幅はほぼ4mm。長石の結晶らしいものが見えます。反射が強く輝いている部分に石英と異なり劈開がはっきりしているのでほぼ間違いないでしょう。私の場合はそう沢山の薄片を作り観察する立場ではありませんから、様々な岩石をフィールドで観察する時に、研修の時に薄片で観察した内容と、その薄片の原岩の実態顕微鏡での観察内容と、更にその表面相の肉眼或いはルーペでの対比をしていく訓練、出来れば新鮮な場合と風化した場合とではどのように変化が在るか?等を知りたいと思って居ます。
薄片の観察は週に一回、10時から4時まで、自主研修と言うのが月に2回程度あり、この時は実体顕微鏡を使って、古い記憶がはっきりしないサンプルを観察して、何時何処で採集したものか?思い出しながら記録を作って行きます。
今週は今年最後の仙台出張があり、宮城の凝灰岩石材産地を歩く予定なので、頻繁にはUP出来ないかもしれません。出来れば松島の少し東の野蒜に野蒜石の採石場跡地を訪ねて行きたいと思って居ましたが、JRが復旧するまでは難しそうです。
薄片の観察は週に一回、10時から4時まで、自主研修と言うのが月に2回程度あり、この時は実体顕微鏡を使って、古い記憶がはっきりしないサンプルを観察して、何時何処で採集したものか?思い出しながら記録を作って行きます。
今週は今年最後の仙台出張があり、宮城の凝灰岩石材産地を歩く予定なので、頻繁にはUP出来ないかもしれません。出来れば松島の少し東の野蒜に野蒜石の採石場跡地を訪ねて行きたいと思って居ましたが、JRが復旧するまでは難しそうです。
2011年12月16日金曜日
かわご平溶岩の気泡/ガラス

画像は、以前「日本火山の会」の伊豆巡検の際に、カワゴ平で採集したかなり発泡している溶岩(軽石程では無いけれど)を実体顕微鏡で観察したもの。実体顕微鏡だと中々興味深い状態で観察出来るのだけれど、それを片眼でコリメート撮影すると、中々判り難い画像となってしまった。
でも、火山灰の中のガラス・バブルがこんな形状から破壊されて出来てくるのだろうな!と言う雰囲気は判って頂けるだろうか?
今日は、実は「曹長岩」のほのかな青い矩形を撮影しようと思って居たのだが、うっかりその岩石サンプルを自宅に置き忘れて博物館に出掛けてしまって大失敗。
年内の博物館行は今日で終わりで、残念な事をしてしまった。
日本火山の会の伊豆半島巡検については、下記をご覧下さい。
http://kazan-net.jp/off/1002izuoff/1002izuoff.html
2011年12月14日水曜日
磯部鉱石資料館 (2) 珊瑠鉱山の富鉱部鉱石

http://www.godoshigen.co.jp/museum/index.html
この画像は北海道上川郡下川町の珊瑠鉱山の金銀含有量が多い部分の接写。“OLE 9”第三富鉱部とあり、金はトン当たり24g、銀は36gとある。
2012年8月20日:表題とラベルを変更し資料館の HTML を追記しました。
2014年4月27日:磯部鉱石資料館は2013年に残念ながら一般公開を辞めました。
2011年12月12日月曜日
磯部鉱石資料館 (1) 山鹿野鉱山のとじ金

http://www.godoshigen.co.jp/museum/index.html
ガラスケースに展示されている鉱物標本は、焦点を合わせるのが結構難しいですね。
鹿児島県姶良郡横川村(当時)の「山ヶ野鉱山」の自然金で「とじ金」と呼ばれるもの。
2012年8月20日:表題と内容を変更し、資料館の HTML を追記。
2014年4月27日:磯部鉱石資料館は残念ながら2013年に一般公開を辞めました。
2012年8月20日:表題と内容を変更し、資料館の HTML を追記。
2014年4月27日:磯部鉱石資料館は残念ながら2013年に一般公開を辞めました。
2011年12月10日土曜日
顕微鏡画像:カワゴ平の軽石状溶岩
2011年12月8日木曜日
房総半島上総層群国本層のウニ? ヒトデ?化石

破損したもので完全な個体では有りませんでしたがどうやら此処までクリーニングしましたので、ご紹介をさせて頂きます。明日出来れば専門の先生に見て頂こうかと思って居ますが、勿論化石名称は判っていませんし、珍しいものなのか?良く見られるものなのかも判りません。幸い口の部分がこの断片に残っているので、まずまずの化石なのかな?等と思って居ます。
この地層は大雑把に見積もって、70万年程度昔の地層だと思われます。と言っても国本層は結構厚いですからね!(層厚は380m程度)もう少し下の「梅ヶ瀬層」から下には有名な関東ガス田が広がっています。大田代層では2-3mmの小さな巻貝の化石も有りましたが、これは採集しませんでした。
2011年12月6日火曜日
2011年12月4日日曜日
顕微鏡画像:微斜長石
2011年12月2日金曜日
葛生地区のフズリナ化石を含む石灰岩
2011年11月30日水曜日
鋸山風景:D-8;山頂部風景
2011年11月29日火曜日
鋸山風景:D-7;山頂部風景

後、1枚でこのシリーズを一応終わります。多分明後日辺りから、戦後の高等学校教科書で「死火山」や「休火山」と言う言葉がどのように教えられていたか?を教科書の記述から調べた内容のご紹介に入る予定でこれは少々準備が必要なので、ただ今原稿を調整中です。この件は、このブログで10月17日に少し予告編らしき事を述べています。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/10/1.html直後に開始した鋸山の石切場情報を暫く掲載したので中断していましたが、何とか再開に漕ぎ着けました。隔日程度のUPになる事と思いますが宜しくお願いします。
尚、鋸山についてはこれで終わりと言う事ではありません。2012年3月10日(土)に千葉県立中央博物館の地学野外観察会が「房州石の石切場をたずねる」と言う催しが開かれる様なので、これに向かって別の画像を集めてご案内したいと考えて居ます。尚、現在、全国各地の凝灰岩質石材について調べています。これについてもひと段落したらご報告したいと思います。
2011年11月28日月曜日
2011年11月27日日曜日
鋸山風景:D-6;山頂部風景
2011年11月26日土曜日
ぼんやりと一日を過ごす

昨日はぼんやりと一日を過ごしました。かいつまんで言うと
7時前にコンビニに寄り、朝食のおにぎりとお茶をゲットし利根川を渡り、国道294号線を北に向かいました。
目的はのんびりと里山の紅葉を楽しむ事。上の画像は行きがけの駄賃!
茂木町の町はずれに在る和菓子屋さんで美味しい和菓子を手に入れる事。
常陸大宮のこれも外れに在る小さな蕎麦屋さん(名前は呉服屋)で美味い蕎麦と雑魚の唐揚げを食べる事。
適当な日帰り温泉でゆったり浸かり、大広間でのんびり本を読む事。
那珂川に沿って適当に走る事。
このブログはゲットした美味しい和菓子を頂きながら書いていますが、小豆を使った水羊羹にも似た雰囲気のお菓子は絶品です! この日はリュックの中の岩石ハンマーは終日出番が在りませんでした!
結局、大田原付近まで走り最後は古墳群を眺めながらの散策で締めましたが、早朝から夕陽の呉れる頃まで、富士山から秩父の武甲山までがくっきりと見え、日光連山や塩原の高原山には雪雲が張り付いていました。
2011年11月24日木曜日
鋸山風景:D-5;山頂部風景

先日、「石のまち金谷シンポジューム」の際に、山形県の高畠石の採掘の状況を東北芸術工科大学芸術学部歴史遺産学科の方が丹念に記録された動画を拝見する機会が在りましたが、鶴嘴(つるはし)の打ち方が実に細やかなのに驚きました。偶々座った隣に、その丹念な記録を作成したうろ覚えながら高柳さんと仰ったと思いますがほんの少しだけお話を伺う事が出来ました。素晴らしい仕事を(高畠石の職人さんも、その記録を残して下さった方も)して下さる方々に驚きかつ感謝の思いです。動画の中で細い切断溝を穿つのに、ほんの少しだけ鶴嘴の角度を変えながら右に左に成功に打ち込む状況は芸術の域に達している様に思いました。下の画像は上の画像のもう少し広い部分を示したものです。

2011年11月23日水曜日
2011年11月20日日曜日
鋸山風景:D-3;山頂部風景
2011年11月19日土曜日
鋸山風景:D-2;山頂部風景

鋸山の名所に断崖絶壁の上から張り出した「地獄のぞき」があります。上の画像はこれをコンサートホールと呼ばれる元の丁場付近から眺めたものです。その下に見えるのは、房州石を採掘した後の絶壁です。絶壁が残ったのは恐らく私有地での採掘権の有無の問題だと思うのですが、何故、張り出した状態で「地獄のぞき」と言う展望台が残されたのでしょうか?下の画像は別の方角から見た「地獄のぞき」です。崖の付け根の辺りに横一筋の凹みが見えます。どうやら此処を掘削してみたけれどあまり良い石材では無かったので、これ以上掘削をする事を諦めた後らしいのです。

2011年11月17日木曜日
鋸山風景:D-1;山頂部風景
2011年11月16日水曜日
鋸山風景:C-7:車力道
2011年11月14日月曜日
鋸山風景:C-6;車力道
2011年11月13日日曜日
2011年11月12日土曜日
鋸山風景:C-4;車力道
2011年11月11日金曜日
鋸山風景:C-3;車力道;ねこ車復元図

「車力道」に建てられた説明板にはその一部を抜粋引用すると「この新登山道は、かっての「車力道」です。鋸山の頂上部付近で切り出された石を運び出した道です。房州石を木製の荷車に載せ、急傾斜の道をブレーキをかけながら下りたので、石の重みで道の表面に荷車の轍が残っています。この石を運搬した人達は「車力」と呼ばれ、女性の仕事でもありました。空の荷車を背負って頂上まで上り、1日3往復する大変な重労働でした。」
房州石を積載してバランスを取りながらの運搬も大変ですが、この復元図の「ねこ車」がどれほどの重量なのか判りませんが、これを背負うのはかなり大変な作業に思えます。車力道は「単線」ですから、すれ違うには、石を積載していない側が道路から逃げてすれ違うしかないのですから。勿論、炭鉱でも運搬は女性の仕事である時期が長く続く時代が在りました。女性は家計を担う強い働き手だったのですね。敬服!
売津の採石場で使われていたネコ車が現存していました。下記に画像があります。
http://iwatotsuchi.blogspot.jp/2012/09/14.html
2011年11月8日火曜日
鋸山風景:C-2;車力道
2011年11月7日月曜日
鋸山風景:C-1;車力道

凝灰岩質の礫岩の敷石に深い溝が掘り込まれています。これは石材を山頂付近の丁場から降ろす為に使われた道で、詳しい画像などの資料はありませんが、どうやら「修羅:しゅら」を小型にした、石材を運ばない時には背負って運べるような「橇:そり」の様な道具を使っていた痕跡です。「車力道」とされているので、大きな車が在る台車を想像したのですが、傾斜がきつい坂道ではブレーキを掛けなければならず、しかも、麓で荷卸しした後は背中に背負って運んだと在りますので、ブレーキ付荷車ではとてもコンパクト軽量とは行きませんので、ブレーキを掛けながらとすると小型の修羅を想定した次第です。修羅の掘り込んだ細い溝は左右に二本あります。
2011年11月6日日曜日
2011年11月5日土曜日
2011年11月4日金曜日
鋸山風景:B-7;コンサートホール
2011年11月3日木曜日
2011年11月2日水曜日
2011年11月1日火曜日
鋸山風景:B-5;コンサートホール

下の機械は、ショベルとかペイローダーと呼ばれる方向転換が自在な運搬機械ですね。これは一体どのような方法で持ち込んだのでしょうか?房州石は、花崗岩と異なりあまり大きな石材としては切り出されていない様なので、索道を利用するのにも無理があるように思えます。
根が機械やなので、どうしてもこの様な機械類に目が向いてしまいます。

*インデックスは削除しました。ラベルを参照下さい。
2011年10月31日月曜日
鋸山風景:B-4;コンサートホール

このままクリックしても駄目なので、コピペで移動して下さい。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/01/1.html
この様な機械で溝を掘った状態を見る事が出来ます。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/01/3.html
大谷石資料館に展示されている機械です。ほぼ同じと思ってよいでしょう。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/01/4.html

2011年10月28日金曜日
鋸山風景:B-3;コンサートホール
2011年10月27日木曜日
鋸山風景:B-2;コンサートホール
2011年10月26日水曜日
鋸山風景:B-1;コンサートホール
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