道に穿たれた二条の溝の意味が良く判ります。
「車力道」に建てられた説明板にはその一部を抜粋引用すると「この新登山道は、かっての「車力道」です。鋸山の頂上部付近で切り出された石を運び出した道です。房州石を木製の荷車に載せ、急傾斜の道をブレーキをかけながら下りたので、石の重みで道の表面に荷車の轍が残っています。この石を運搬した人達は「車力」と呼ばれ、女性の仕事でもありました。空の荷車を背負って頂上まで上り、1日3往復する大変な重労働でした。」
房州石を積載してバランスを取りながらの運搬も大変ですが、この復元図の「ねこ車」がどれほどの重量なのか判りませんが、これを背負うのはかなり大変な作業に思えます。車力道は「単線」ですから、すれ違うには、石を積載していない側が道路から逃げてすれ違うしかないのですから。勿論、炭鉱でも運搬は女性の仕事である時期が長く続く時代が在りました。女性は家計を担う強い働き手だったのですね。敬服!
売津の採石場で使われていたネコ車が現存していました。下記に画像があります。
http://iwatotsuchi.blogspot.jp/2012/09/14.html
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