お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。
2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。
中央のブロックの画像は堆積層の中に起きた円弧スベリを現しているのだと思います。堆積時には左下がりの姿勢だったのでしょうか?
その上の段の左側のブロックも興味深いですね。大した重量を持つはずも無い軽石が下の層にめり込んでいるのは、やはりかなりの深い海で堆積物が本当に柔らかい状態だったのか(それがこんなに固まるかい?)ダービダイトの様に流れ下ってこの様に定置したのか?不思議でなりません。(ダービダイトではこの様には堆積出来ないと思いますが)この様なブロックがお互いにどのような位置関係であの鋸山の山腹を構成していたのか?興味深いテーマです。
今日は3連休の最終日。カミサンに行田経由で足利のこの石塀の写真を撮影に行きたい!と提案したのですが、残念ながら却下!未だ3週間前の手酷い腰痛から完全には復帰出来ていないし、道路は混むだろうし、明日・明後日は勤務なのですから、当然と言えば当然なのですが・・・
行田の古墳の石棺に「房州石」が使われていると書かれているものが在るのに、その画像が一枚も見られないので、多分何かの間違いなのだろうとは思うのですが、「正」か「誤」か?確認してみたいと思っています。阿蘇溶結凝灰岩の宇土半島産のものが奈良の古墳の石棺に使われていると言う話が在るのですから、有り得ないとは思いませんが確認をしたいです。
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