2019年1月27日日曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (4)

秋間石については、もう一ヶ所「風戸峠」付近で調査を行ったが、試掘的な凹地が多数認められたものの、残置された岩片からも、生産的な石切り場として機能していたとは考え難いのでこの部分は省略。二日目は、旧吉井町付近に産出したと云う「多胡石」の調査を行った。千葉県内ではこの石材の類似岩石は産出しないが、地元産砂岩を用いて明治21年に竣工した南房総市長尾の三連アーチ橋の補修用として採用されていると共に、近代建築における装飾用石材として知られている。最初は、造立年代が判明している石造物としては非常に古く歴史資産として保存されている「多胡碑」からスタートした。

多胡碑は、和銅四(711)年に、この吉井町付近を中心として新しく「多胡郡」が設置された事を刻んでいます。従ってこの時期からさほど遠くない時期に造立されたものとされています。現在は覆屋に収められているので、年一回の特別公開日以外はガラス越しでの撮影になります。

参考用に高崎市教育委員会所管の史跡案内図を引用させて頂きましょう。

多胡碑の側面です。余り明瞭では有りませんが水酸化鉄が沈着して出来たという縞模様が少し観察されます。

多胡碑の覆屋前に多胡石で出来た燈籠が二対有りましたので、表面状態の良い場所を選んで観察してみました。

スケールを置けなかったので申し訳ないのですがこの部分はかなり細粒です。

別の燈籠で妙にキラキラ光るので、斜長石の大きなものでも含まれているのかと、レンズを近付けて表面を舐める様にチェックしていくと、ありました!白雲母です。どうやらこの砂岩は花崗岩が起源の可能性がありそうです。やや緑色のものは地衣類です。

燈籠の火袋の部分にも淡い縞模様が見えます。濃い縞模様は表面の仕上げを良くしないと見えないのかもしれません。

明治21年に竣工した千葉県内で最も大きな三連眼鏡橋です。主要部材はこの付近の海岸近くで採掘されていた凝灰質砂岩の「みずるめ石」ですが、平成5年に修復した際には既に採掘も終え、資源も乏しくなって居た為に、多胡石を補修に使っています。

少々風化した部分が「みずるめ石」です。黒灰色の部分は、鋸山の南側で採掘された房州石の仲間で「元名石」といいます。一番上の部分の表面に小さな突きの仕上げをしている部分が「多胡石」です。淡い緑色は新設した手すりの銅合金から来た緑青です。「みずるめ石」の中には安山岩の小さな礫が含まれています。

多胡石で補修された部分を写したものです。この縞模様が「多胡石」の最大の特徴です。後日、興味深いその縞模様を大量にご覧頂きます。(多胡石は凝灰岩ではありませんが、一連の巡検記録なので、ラベルはそのまま「凝灰岩」を使います)

2019年1月26日土曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (3)

我々の調査は「日没まで行動」が原則なのでこの日の行動はまだ続きます。、北陸新幹線の「安中榛名駅」近くの「御殿山」山頂直下の「赤穂義士四十七士像」が「秋間石」に彫られたものだと情報を得ていました。「榛名山」図幅を見るとこの義士象のある場所の崖に、“Al2”(上位)と“Al1”の境界が通過しています。“Al2”は、秋間層下部の「長岩火山礫凝灰岩部層」、“Al1”は、「森熊火山角礫岩部層」と規定されています。
現地に行くと、下部の“Al1”は、細かな礫層を挟みながらも整然と堆積層が積み重なっていますが、上部の“Al2”は、下部層を削り込んで大きな礫を取り込みながらぐしゃぐしゃと積み重なっています。此処では“Al2”は不整合をなす巨大な地滑り地塊の様です。詰り、少なくとも秋間丘陵は北側では「湯殿山」付近で、南側は御殿山付近で巨大な地滑りを生み出していた様です。尚、直ぐ傍に駐車スペースが用意されているので、歩くのは 200 m 程度で済みます。

「赤穂義士四十七士像」は、丁度二つの礫層の境界部にずらりと並べられています。

義士像の前にはネットが貼られているので、ネットの上に顔を出している向背の部分を撮影してみました。成程、山麓の威徳神社の燈籠等で観察した石材ににています。

義士像の間にはこの様な家形墓塔も置かれていますが中央部は屋や色合いが異なります。燈籠の火袋と同じで風化し易い構造なので別の石材で補修したものかもしれません。

体を反り返してほぼ真上を見上げるとこんな感じです。崖上の樹木が怖いですね。

下部層の「森熊火山角礫岩部層」は火山性の礫が砂泥互層程には変わりませんが、整然と積み重なっています。

少し詳しく観てみました。ハンマーの先端部がスケール代りです。赤茶色と黒い火山岩礫が殆どですね。

層準によっては、2 mm 以下の砂粒ほどの黒色砂岩礫がぱらぱらと含まれている層も有ります。スコリアでもなさそうです。

二つの礫層の境界部の東側の状態です。上の層が下の地層を大きく削り込んでいるのが判ります。

崖はほぼ東西方向に伸びているので西側も同様です。赤く焼けている様な比較的細粒の部分と、焼けていない粒径もまちまちな礫岩部が見えます。

少し、駐車場側に戻った旧観音堂跡付近に石積みがありましたが、これは上部層の輝石安山岩の様でした。

2019年1月25日金曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (2)

 秋間石の石切り場跡は比較的アクセスし易い「雉子ヶ尾峠」にあります。我々は少し北側の坂を下り道路のやや広い部分に車を置き、峠に近い切通しにある登山口から入りました。最初の部分は、只でさえ急傾斜の道路に、凄まじい量の落ち葉とその下に隠れたドングリや石ころで滑り易く難儀しました。付近は梅で有名らしく沢山の梅の木が植えられています。
 巨大な崩落崖のある風戸峠付近から石尊山・御殿山から御岳山・雉子ヶ峠・浅間山・天神山と、地質は少し変わりますが、西北西から東南東に連なる「秋間丘陵」が続きます。秋間層上部の「輝石安山岩,凝灰角礫岩,凝灰岩」からなる記号“Au”のすぐ下に、秋間層下部層の最上部に相当する「茶臼山溶結凝灰岩部層」の輝石安山岩溶結凝灰岩を採掘したものが「秋間石」です。この部分は1/5万「榛名山」の領域なので、興味のある方は当該地質図か、群馬県立自然史博物館から紹介されている「秋間層の溶結凝灰岩」を参照下さい。

山頂から少し西側に石切り場らしい場所に下るスペースがありますが、かなり危険な場所なので必ず複数での行動をすべきです。崖はこの様にナイフで切った様にスパッと切れています。群馬県立自然史博物館の文献では秋間石の最大の石切り場とあります。

切れた断崖を殆ど真横から見るとこんなに滑らかです。

崖から少し離れてみると滑らかさが良くお判り頂けると思います。表面を詳細に検討すると、付着物や変色の状態から人工的に切った面では無く断層の様です。断層面は複雑に交差しています。

表層に近くなると当然の事ながら割れ方は不規則になります。

所々に、この様にステージ状になった場所が有ります。足元はズリが堆積しており、落ち葉に隠れた穴や凹凸があり、しばしば転倒しそうになります。

ピンボケの笹を写したような画像ですが、尾根筋のギリギリの位置まで実は石を切っています。左手の斜面の上は幅1mも無い尾根です。右手にズリがあります。

ズリはこのような状態です。私のハンマーの柄の長さはざっと 32 cm です。

岩相は、芦野石に似ていると云えば多少は似ているかもしれませんが、溶結レンズが全く異なります。ぼやけた筋状のやや濃色のものが観察されます。

スケール無で手持ちで接写してみたものがこの画像です。石材は酸化状態に拠りもっと赤味を帯びたものも有る様です。

この場所で調査した範囲は、せいぜい東西方向で 800 m 程度の範囲です。GPSを持ったまま調査すると線が重なって訳が分からなくなるので途中でリュックとGPSは置いて行動します。峠の東側の364m峯の南側にも大きな石切り場跡が在るらしいのですが、ゴルフ場との境界部が切り立っていて探し出せませんでした。

2019年1月24日木曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (1)

安中に「秋間石(鹿間石)」と云う名の溶結凝灰岩があり、これがどうやら芦野石に似ているらしいとの情報が有り、もし、これまで「芦野石」と思い込んでいたものが
「秋間石」であれば、流通経路の見直しが必要になるかもしれないと云う事で、併せて現高崎市の旧吉井町に産出していた美しい模様が有名な砂岩である「多胡石」の産地と併せて1月22-23日の二日間で調査する事になった。初日は、安中市秋間の秋間丘陵にある「御岳山:409m)」の稜線の南側にあるという石切り場を訪ねる事になり、その前に途中に社寺で石材を確認した。

御岳山から眺めた赤城山の雄姿。手前のなだらかな丘陵は榛名山の山裾。

同じく、榛名山の、これは二ツ岳方面だと思うのだが、久し振りに見るので自信が無い。

北野寺の墓地にずらりと並ぶ五輪塔。殆どが苔生していて石材の地肌は確認のしようが無い。僅かに「天保五甲午年二月(1834)」の文字が読めるものが有る。

隣接する神社の本殿基壇には、赤系統や茶系或いは脱色しているのか、白っぽい切石が使われている。これは地肌の観察が出来そうだ。

望遠レンズで確認した石材の中に含まれる礫。左上のやや大きなものは斜長石の斑晶が有る火山岩だが他のものは地衣類かもしれない。

参道脇の燈籠に含まれていた火山岩礫。礫の色・斑晶の有無・気泡の有無・亀裂の有無。大きさ・形状(角・円磨等)・艶(ガラス質等)は強力な判断材料になる。

燈籠の火袋の側面に、水平な構造が観察される。小さな礫や不明瞭な縞模様なども重要。

燈籠の火袋の一部の拡大。これも捕獲岩や流れ模様等の特徴を探す。

初日のコース。「雉子ヶ尾峠」の東側には大きな(危険な急峻な崖の)石切り場跡が観察される。節理というより、断層らしい破断面が様々な方角に発達していて大型石材の取得には苦労したのではないかと思う。峠の東側は藪の中の野茨の為に来ていたものが数か所破れてしまった。石尊山はどうやら試掘跡らしいものが多数あるが、石切り場の体を成していない。安中榛名駅の東側は、御殿山の「赤穂義士四十七士」の像が秋間石だと聞いて行ってみたのだが、崖に現われた礫層の方が興味を惹かれた場所だ。この場所の画像は次回。

2019年1月19日土曜日

“US government shutdown”は何時まで続くのだろうか? GVPの火山活動情報が御案内できない訳

昨年末から議会での対立で予算が執行できない状態が続いている為に、GVPの火山情報も更新作業が出来ないので、全く配信されてこない。
自分で、調べ出すのは時間が掛り過ぎてとてもできない相談だが調べやすい火山だけは、活動情報とライブカメラ或いはウエブカメラをチェックしている。

カムチャツカ半島の“Sheveluch”火山は、溶岩ドームの活動が活発で暫く噴煙しか見えていなかったが、天候さえ良ければなんとか見える様になった。
画像を幾つかご紹介しよう。
昨年11月6日の山体が比較的良く見えた時はこんな感じ

KVERT]のサイトからDLさせて頂いた爆発時の噴煙画像は12月30日のもの

翌日の夜のライブカメラには溶岩ドーム(山頂よりやや低い位置)の輝きが見える。

翌朝のカメラでは噴煙しか見えない

1月2日も同様

1月5日

1月9日

15日にはかなり山の状態が見える様になった

天候が悪くて見えないのか、噴煙に包まれて見えないのか?気がもめるものだ。

イタリア Etna 火山の山腹噴火

日本時間の1月16日夜に、エトナ火山のライブカメラを見ると何時もと噴煙の様子がかなり違うのに気付いた。

Etna_190116_1357:現地時間の13時57分

Etna_190116_1424:現地時間の14時24分
別の角度からのカメラだと

昨年の12月のカメラから

最初の二枚と同じライブカメラからだと

Etna_181227_1242
火山は本当に様々な噴火活動を示す生き物だとつくづく思うのです!

東京駅構内の巨晶花崗岩の産地は?

東京駅の丸の内北口のドーム下を通過して丸善方面に向かっていると、黒い壁に何やら模様が見えたので近づいてみると巨晶の斜長石類が沢山見えたが、私の知識の中の屋久島の花崗岩とは少し違うし、勿論、ラバキビ花崗岩とも違うと思うのだが、何方か産地を御存知だろうか?乞う、ご教示!
文献類を探してみたが、この花崗岩に関しては何処も触れていないし、稲田の花崗岩の記事には石材は殆ど、<ほとんど>だけど国産品だと書かれている。この付近は数十回歩いているのに一度も気付かなかった!画像の中の緑色がフィールドノートの短辺の 95 mm です