秋間石については、もう一ヶ所「風戸峠」付近で調査を行ったが、試掘的な凹地が多数認められたものの、残置された岩片からも、生産的な石切り場として機能していたとは考え難いのでこの部分は省略。二日目は、旧吉井町付近に産出したと云う「多胡石」の調査を行った。千葉県内ではこの石材の類似岩石は産出しないが、地元産砂岩を用いて明治21年に竣工した南房総市長尾の三連アーチ橋の補修用として採用されていると共に、近代建築における装飾用石材として知られている。最初は、造立年代が判明している石造物としては非常に古く歴史資産として保存されている「多胡碑」からスタートした。
多胡碑は、和銅四(711)年に、この吉井町付近を中心として新しく「多胡郡」が設置された事を刻んでいます。従ってこの時期からさほど遠くない時期に造立されたものとされています。現在は覆屋に収められているので、年一回の特別公開日以外はガラス越しでの撮影になります。
参考用に高崎市教育委員会所管の史跡案内図を引用させて頂きましょう。
多胡碑の側面です。余り明瞭では有りませんが水酸化鉄が沈着して出来たという縞模様が少し観察されます。
多胡碑の覆屋前に多胡石で出来た燈籠が二対有りましたので、表面状態の良い場所を選んで観察してみました。
スケールを置けなかったので申し訳ないのですがこの部分はかなり細粒です。
別の燈籠で妙にキラキラ光るので、斜長石の大きなものでも含まれているのかと、レンズを近付けて表面を舐める様にチェックしていくと、ありました!白雲母です。どうやらこの砂岩は花崗岩が起源の可能性がありそうです。やや緑色のものは地衣類です。
燈籠の火袋の部分にも淡い縞模様が見えます。濃い縞模様は表面の仕上げを良くしないと見えないのかもしれません。
明治21年に竣工した千葉県内で最も大きな三連眼鏡橋です。主要部材はこの付近の海岸近くで採掘されていた凝灰質砂岩の「みずるめ石」ですが、平成5年に修復した際には既に採掘も終え、資源も乏しくなって居た為に、多胡石を補修に使っています。
少々風化した部分が「みずるめ石」です。黒灰色の部分は、鋸山の南側で採掘された房州石の仲間で「元名石」といいます。一番上の部分の表面に小さな突きの仕上げをしている部分が「多胡石」です。淡い緑色は新設した手すりの銅合金から来た緑青です。「みずるめ石」の中には安山岩の小さな礫が含まれています。
多胡石で補修された部分を写したものです。この縞模様が「多胡石」の最大の特徴です。後日、興味深いその縞模様を大量にご覧頂きます。(多胡石は凝灰岩ではありませんが、一連の巡検記録なので、ラベルはそのまま「凝灰岩」を使います)
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