2019年1月24日木曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (1)

安中に「秋間石(鹿間石)」と云う名の溶結凝灰岩があり、これがどうやら芦野石に似ているらしいとの情報が有り、もし、これまで「芦野石」と思い込んでいたものが
「秋間石」であれば、流通経路の見直しが必要になるかもしれないと云う事で、併せて現高崎市の旧吉井町に産出していた美しい模様が有名な砂岩である「多胡石」の産地と併せて1月22-23日の二日間で調査する事になった。初日は、安中市秋間の秋間丘陵にある「御岳山:409m)」の稜線の南側にあるという石切り場を訪ねる事になり、その前に途中に社寺で石材を確認した。

御岳山から眺めた赤城山の雄姿。手前のなだらかな丘陵は榛名山の山裾。

同じく、榛名山の、これは二ツ岳方面だと思うのだが、久し振りに見るので自信が無い。

北野寺の墓地にずらりと並ぶ五輪塔。殆どが苔生していて石材の地肌は確認のしようが無い。僅かに「天保五甲午年二月(1834)」の文字が読めるものが有る。

隣接する神社の本殿基壇には、赤系統や茶系或いは脱色しているのか、白っぽい切石が使われている。これは地肌の観察が出来そうだ。

望遠レンズで確認した石材の中に含まれる礫。左上のやや大きなものは斜長石の斑晶が有る火山岩だが他のものは地衣類かもしれない。

参道脇の燈籠に含まれていた火山岩礫。礫の色・斑晶の有無・気泡の有無・亀裂の有無。大きさ・形状(角・円磨等)・艶(ガラス質等)は強力な判断材料になる。

燈籠の火袋の側面に、水平な構造が観察される。小さな礫や不明瞭な縞模様なども重要。

燈籠の火袋の一部の拡大。これも捕獲岩や流れ模様等の特徴を探す。

初日のコース。「雉子ヶ尾峠」の東側には大きな(危険な急峻な崖の)石切り場跡が観察される。節理というより、断層らしい破断面が様々な方角に発達していて大型石材の取得には苦労したのではないかと思う。峠の東側は藪の中の野茨の為に来ていたものが数か所破れてしまった。石尊山はどうやら試掘跡らしいものが多数あるが、石切り場の体を成していない。安中榛名駅の東側は、御殿山の「赤穂義士四十七士」の像が秋間石だと聞いて行ってみたのだが、崖に現われた礫層の方が興味を惹かれた場所だ。この場所の画像は次回。

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