2017年4月13日木曜日

銚子砂岩の風景(6) 海鹿島の海鹿島礫岩等

海鹿島(あしかじま)には現在はウミネコや鵜くらいしか羽を休める事はなさそうですが、名前の由来は此の岩礁までアシカが来ていたからなのだそうです。ここでは接近して、チャート礫を含む砂礫岩と、偶に、殆どチャートだけの砂岩(砂礫岩)と、犬吠に似た細粒の砂岩を観察可能です。陸上部には犬吠崎よりはやや粗粒の砂岩が分布していますが、露出が悪いので残念ながら殆ど観察出来ません。

案内図に示した海はとても浅い海なので、五月等の大潮の干潮時にはかなり沖のこの案内図の範囲辺りは潮が退きます。
 案内図の左手付近に車を止めると、これは望遠で撮影した画像ですが、大きな球形のノジュールを載せた砂岩の岩礁が見えます。割って中に化石が有るか見たいところですが、岩礁の周囲は深いので渡る事が出来ません。



このそばに並ぶ岩礁ですが、細粒の砂岩と後ろの鋸歯状の部分は砂泥互層の様です。
案内図の右手に突出した部分があります。この手前の入江は海水浴場でしたのが、現在は廃墟(?)の様です。海水浴場の境界には砂岩の石垣が積まれています。

白い四角の標識の上に岩峰の平らな面が見えますが、ここに小川芋銭の句が刻まれています。勿論砂岩です。岬の上には登れますが、南側半分ほどは私有地で、穏やかな外国人の方が住んでおられました。

この岬を潮が退いた海側から見たのが上図です。この部分は石切りが行われていますが、生簀の壁を築くのに石切りをしたという説と、販売用に石切りをした跡との説がありますが、量が大きいので恐らく販売されたものと考えています。

この付近の砂岩の石垣の例です。
 案内図に「観察適地」と記した部分は干潮時限定ですが、ここの海鹿島礫岩は大部分が円磨されたチャートの礫を含んでいます。





時には、砂岩の中に部分的に小礫を含む部分が存在する例や、殆どチャートの砂岩(砂礫岩)等も観察されます。

引き潮時の沖合から岸を観たものです。干潮時には広い礫浜が広がりますが、潮が満ちるのも早いので注意が必要です。 次回は街中の砂岩:まだまだ続く

2017年4月9日日曜日

銚子砂岩の風景(5) 黒生地区の海鹿島礫岩と安山岩

これは、友人たちに「銚子石」の魅力を御案内する為にFBに投稿したものを、そのまま転載したものです。従って、これまでに銚子砂岩に関して投稿したものと重複する部分があります。画像はクリックして拡大してご覧ください。

案内図は、銚子の海産物のみやげ物が集まる「ポートタワー」と「ウオッセ」の南東側に位置している黒生(くろはえ,くろはい)地区。図の左側が北。海辺の露頭なので可能な限り干潮時の来訪が望ましいがこの付近なら満潮でもない限りなんとか観察出来ると思われる。車で移動の場合は案内図の右手の県道沿いの海辺は駐車可能。防波堤まで無理すれば車でいけない事は無いが、その手前に凹凸が激しい場所が有るのでお勧め出来ない。
 案内図の左上に二ヶ所「安山岩」の露頭が示されているが、これは防波堤から一応渡れる。大きな露頭で海中(上)。比較的小型の露頭(下)。原図が無くて倍率が判らないが偏光顕微鏡画像。真ん中の黄色の部分が古銅輝石。周りの白い細長いのは斜長石。何故かHDに一枚も顕微鏡画像が入っていない。マズイ!


 海鹿島礫岩は、チャート礫が主体の砂礫岩。左手の露頭は勇気とバランス感覚と運動神経と体力が有れば渡れる。テトラポッドから防波堤を進み、礫岩に登るのに少し段差が高いのが問題。右手の防波堤の切れた部分に、足がかりが有るが下は青い海で滑ったらアウト。一応私は上がった事も有るが降りるのも段差が高いので飛び降りて骨折なんてのもシャレにならない。
一応、無理せずともこの程度の観察は可能。

「美加保丸海難の碑」も海鹿島礫岩。「駐車可」の前はテトラポッドが有り、引き潮でも海岸に出られない。この付近の説明は次回。
 処で、「大鏡洞推定地」と云うのが有るが、利根川河口部は防波堤と埋め立てで、明治から比べると大幅に景観が変化した場所。黒生に行く機会がありましたら、通りに面した工場などの看板に御注意頂くと「瓦屋」の数が滅法多いのに気付かれると思います。
この瓦屋さんは、今でこそ愛知の高浜等を主とした大量生産品の仲買や施工業者に特化されてるが、元々は地元産出の粘土を材料にしていた。この粘土が実は河川由来では無く、付加体のメランジェ由来の粘土だった様で掘り尽くして現在は全く手に入らない。案内図の左手に「大鏡洞推定地」と書いた場所は、採掘した粘土を精製する為の大きな泥田が有ったと推定している場所です。雑草の中にチャートの露頭があるかもしれない。
「だるま窯」と言われる瓦を焼く窯を描いた絵皿。今も瓦屋を営むお宅に保存されていたもの。御爺様がフト思い出して探し出してこられた。
また、下図は、その「大鏡洞」の想定図。昭和六十(1985)年、
この瓦を調べて銚子史談会で「土が瓦に生まれ変わって-瓦のふるさと黒生を訪ねて-」を報告された平林さんの友人が書かれた添付図。
砂岩の調査で銚子に数年通った私は、同時期にメランジェ由来の粘土の成分を調べたくて、私より少しだけ年配の平林さんを探し出し、ジオパークの波も在ってほぼ30年振りに地元のケーブルテレビが放送する講演会での再講演が実現した。平林さんは一躍地元の有名人になられたので、この後の調査は平林さんに御同行頂く事で古瓦の収集や情報提供が一挙に加速されて助かった。後援会の日に石巻で野蒜石の石切り場の調査をしていた私は残念ながら「有名人」になり損ねた。
最後の画像は古瓦の断面の観察画像の一例。 まだまだ続く

銚子砂岩の風景(4) 現代の硬砂岩等採掘跡

これは、友人たちに「銚子石」の魅力を御案内する為にFBに投稿したものを、そのまま転載したものです。従って、これまでに銚子砂岩に関して投稿したものと重複する部分があります。画像はクリックして拡大してご覧ください。

 銚子の東部「愛宕山」周辺には地図①に示すような砂岩・礫岩の採掘跡が大きな凹地を形成していますが、これは硬砂岩や礫岩の現代の採掘跡です。危険で立ち入りは無理な場所なのでまとめて簡単にご紹介します。
 地図の左下の細長い池はペルム紀のフズリナ化石やウミユリの化石を含む石灰岩礫が含まれた「高神礫岩」を掘り尽くした採掘した跡です。
完全に掘り尽くされ、崖はコンクリートで固められており、全く入る余地はありません。高神礫岩は近くの地球が丸く見える丘公園内の「日比友愛の碑」の周辺に使われているのでこの場所で数多く観察されます。



 地図の右下に見える大きな水溜りは、傍で見ると図の様に周りを急な崖で囲まれています。愛宕山に近い場所の一角に、砂岩の塊を置いた場所がありますが、採掘停止後に何処からか持ち込まれたものだと言われています。サンプルになりません。



 右上の「満願寺」と書かれた部分は、採石場跡地の平地を利用して寺院を建設されたもので、奥の方には図の様に崖が切り立っていますが、此処でハンマーをふるう訳には行きませんね。

 地球の丸く見える丘展望館の左手の採掘跡は比較的小型ですが、かなりゴミが散乱しています。近づくのはお勧め出来ません。こんな鋼製のベルトコンベアが残置されていました。

高橋雅紀氏の「東西日本の地質学的境界 【第三話】銚子の帰属」の冒頭に銚子半島の地質図が掲載されています。大部分が関東ローム層や香取層ですが、場所によってはその層厚は非常に薄く、その下に砂岩層が分布している場所が結構広がっているようです。今は住宅地だけれど採石場に出来た池を埋めた後等と云う場所も存在します。
 満願寺右隣は芝生の緑が見えますが、一時期ゲートボール場として開放されていましたが閉鎖されています。白楕円の下側が接している道路ではメランジェの観察が出来る場所があります。

 小型の石切り場は例えば、御自宅の池が実は砂岩を採掘した跡だと云う事で、個人的に見学させて頂きサンプルも撮らせて頂いた事もあります。



次回は、海鹿島から黒生付近の海岸で観察出来る砂岩と古銅輝石安山岩の露頭を御案内します。

2017年4月6日木曜日

銚子砂岩の風景(3) 古記録に残る「畳磯」とは

これは、友人たちに「銚子石」の魅力を御案内する為にFBに投稿したものを、そのまま転載したものです。従って、これまでに銚子砂岩に関して投稿したものと重複する部分があります。画像はクリックして拡大してご覧ください。

 『元禄四年辛未(1691)年六月、今宮村石切共飯沼村地内、畳磯と申所え参、砥石切申に付、飯沼村名主・組頭罷出、諸道具迄押え取上げ、砥山の御請負其節設楽勘左衛門様ご支配に付、飯沼村の者共江戸へ登、勘左衛門様にて今宮村の石切共と対決仕、先規の通被仰付候。従て御地頭様御家老鵜殿助左衛門殿飯沼村の者共御つれ勘左衛門様え御出、双方御聞届け被成候。同年右今宮村と石論の節、設楽勘左衛門様高上村・飯沼村境、浜境共御覧可被成と被仰も難斗由にて高上村へ其段申、両村取替証文本紙名主新兵衛持写、手前に有之候。(「玄蕃先代集」)』
 本来の自分たちの村から外れた場所で、砥石の材料となる砂岩の採掘権を争った喧嘩騒ぎの舞台となったと思われるのが“Yahoo Map”を利用させて頂いた地図の左手の場所。

その干潮時の全景。

明治~昭和の在る時期には観光地にもなり絵葉書にも残るが、現在は大潮の干潮時くらいしか歩いていけない場所になっている。但し、長靴が無いと自由が効かない。小さく見えるが近寄ると結構大きくよじ登るのに苦労する。



たまに釣師が居られて梯子を掛けている事が有るので、一声掛けて利用させて頂くと良い。
 干潮時には割に整った形状の砂岩も観察されるので、石切り跡で間違いないと思われるが、実はここの砂岩は面白い特徴が有って、上に登るとある意味その期待を裏切られる。

声を掛けてご了承を頂き、スケールになって頂いた釣師の面々を入れた畳磯の表面。

以下の画像で判るように花崗岩の様に方状の節理が発達している。前の直角の形状を示す平たい石も、採掘されたものか、自然の節理なのか判ったもんじゃないが、これが「畳磯」の名の由来。岩石ハンマーのスケール有。



 勿論、方形の節理が強いのだが、全てが方形かと云うと中にはこのような不思議な造形を示すものもあって面白い。高神小学校跡地の石垣にこんな形の間知石が使われている。

 尚、この付近の砂浜では、後述予定の長崎鼻や黒生の海岸と異なり、かなり緻密で気泡の少ない古銅輝石安山岩が採取出来る!

光の関係か本来は黒色から灰色のものが多いのだが紫色に見える。
最初の地図の右側の溶岩「千人塚層」については、陸上を流れたものなので溶岩流の下部には赤色酸化したクリンカが存在する事が後述の高橋雅紀氏の報文に記載有。
銚子附近の地質をもう少しキチント知りたい方は、下記等を参照下さい。
千葉県立中央博物館のデジタルミュージアムの下記「房総ジオツアー>銚子・屏風ヶ浦・九十九里浜 地質地形をめぐる」
http://www.chiba-muse.or.jp/…/spe…/geotour/choshi/index.html
GSJ地質ニュース,2016年9月号,東西日本の地質学的境界【第三話】銚子の帰属,高橋雅紀,
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol5.no9_279-286.pdf
続く

2017年4月3日月曜日

銚子砂岩の風景(2) 砂岩の顔

これは、友人たちに「銚子石」の魅力を御案内する為にFBに投稿したものを、そのまま転載したものです。従って、これまでに銚子砂岩に関して投稿したものと重複する部分があります。画像はクリックして拡大してご覧ください。

 犬吠崎の石切り場周辺の風景を見て頂いたが、一目惚れしそうな銚子石の顔をご紹介する。何れも超の付く美人揃いだ!
 銚子石の中でも、この犬吠崎の砂岩は特に肌理が細かい。浅海性の堆積物との事で基本的に砂泥互層なのだが、採掘されたのは比較的砂岩の層が厚い部分。

砂岩は房州石等の凝灰岩と異なり、基本的には安山岩などの採掘と同様に「矢」を使うので、この様に「矢穴」の加工から採掘が始まる。

矢穴の跡が残る切断面。大佐倉の旧浜宿河岸の元廻船問屋を営んで居られた旧家の石垣にもこの形状が有り直ぐに気付く事が出来た。(正面から撮影したら凹凸が少なくて矢穴が良く見えないのでもう一度出直す予定)

 浅い海での堆積と云う事から、砂泥互層の部分には「漣痕」が残る事が多く、干潮時の燈台下では容易に観察可能だが足場が悪いので注意が必要。

漣痕と共に、底生生物の生痕化石も観察される事が有る。

比較的大きな岩塊表面では、斜交層理を観察出来出来る事も多い。

また下図はスケールの置かれた上下でラミナの方向が変化している様に見えるが、断面の方向が異なる為でしょう。このような堆積構造は、少し風化したものが見易い。

 断層も幾重にも在るが、時にはこの様に興味深い判断面も観察される。かなり硬い部分だと思われる。

硬いと云えば、崖の表面にこの様に飛び出した部分を観察する事が有るが、これはおそらく石灰化等でやや硬くなったノジュールでしょう。偶にこの中に化石が含まれている事がある。このケースでは恐らく水の通り道の周辺が石灰化しているものでしょう。

タフォニーと呼ばれる風化が描き出す顔。透かし彫りの欄間の様で面白い。 

次回は「畳磯」