これは、友人たちに「銚子石」の魅力を御案内する為にFBに投稿したものを、そのまま転載したものです。従って、これまでに銚子砂岩に関して投稿したものと重複する部分があります。画像はクリックして拡大してご覧ください。
『元禄四年辛未(1691)年六月、今宮村石切共飯沼村地内、畳磯と申所え参、砥石切申に付、飯沼村名主・組頭罷出、諸道具迄押え取上げ、砥山の御請負其節設楽勘左衛門様ご支配に付、飯沼村の者共江戸へ登、勘左衛門様にて今宮村の石切共と対決仕、先規の通被仰付候。従て御地頭様御家老鵜殿助左衛門殿飯沼村の者共御つれ勘左衛門様え御出、双方御聞届け被成候。同年右今宮村と石論の節、設楽勘左衛門様高上村・飯沼村境、浜境共御覧可被成と被仰も難斗由にて高上村へ其段申、両村取替証文本紙名主新兵衛持写、手前に有之候。(「玄蕃先代集」)』
本来の自分たちの村から外れた場所で、砥石の材料となる砂岩の採掘権を争った喧嘩騒ぎの舞台となったと思われるのが“Yahoo Map”を利用させて頂いた地図の左手の場所。
その干潮時の全景。
明治~昭和の在る時期には観光地にもなり絵葉書にも残るが、現在は大潮の干潮時くらいしか歩いていけない場所になっている。但し、長靴が無いと自由が効かない。小さく見えるが近寄ると結構大きくよじ登るのに苦労する。
たまに釣師が居られて梯子を掛けている事が有るので、一声掛けて利用させて頂くと良い。
干潮時には割に整った形状の砂岩も観察されるので、石切り跡で間違いないと思われるが、実はここの砂岩は面白い特徴が有って、上に登るとある意味その期待を裏切られる。
声を掛けてご了承を頂き、スケールになって頂いた釣師の面々を入れた畳磯の表面。
以下の画像で判るように花崗岩の様に方状の節理が発達している。前の直角の形状を示す平たい石も、採掘されたものか、自然の節理なのか判ったもんじゃないが、これが「畳磯」の名の由来。岩石ハンマーのスケール有。
勿論、方形の節理が強いのだが、全てが方形かと云うと中にはこのような不思議な造形を示すものもあって面白い。高神小学校跡地の石垣にこんな形の間知石が使われている。
尚、この付近の砂浜では、後述予定の長崎鼻や黒生の海岸と異なり、かなり緻密で気泡の少ない古銅輝石安山岩が採取出来る!
光の関係か本来は黒色から灰色のものが多いのだが紫色に見える。
最初の地図の右側の溶岩「千人塚層」については、陸上を流れたものなので溶岩流の下部には赤色酸化したクリンカが存在する事が後述の高橋雅紀氏の報文に記載有。
銚子附近の地質をもう少しキチント知りたい方は、下記等を参照下さい。
千葉県立中央博物館のデジタルミュージアムの下記「房総ジオツアー>銚子・屏風ヶ浦・九十九里浜 地質地形をめぐる」
http://www.chiba-muse.or.jp/…/spe…/geotour/choshi/index.html
GSJ地質ニュース,2016年9月号,東西日本の地質学的境界【第三話】銚子の帰属,高橋雅紀,
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol5.no9_279-286.pdf
続く
0 件のコメント:
コメントを投稿