案内図は、銚子の海産物のみやげ物が集まる「ポートタワー」と「ウオッセ」の南東側に位置している黒生(くろはえ,くろはい)地区。図の左側が北。海辺の露頭なので可能な限り干潮時の来訪が望ましいがこの付近なら満潮でもない限りなんとか観察出来ると思われる。車で移動の場合は案内図の右手の県道沿いの海辺は駐車可能。防波堤まで無理すれば車でいけない事は無いが、その手前に凹凸が激しい場所が有るのでお勧め出来ない。
案内図の左上に二ヶ所「安山岩」の露頭が示されているが、これは防波堤から一応渡れる。大きな露頭で海中(上)。比較的小型の露頭(下)。原図が無くて倍率が判らないが偏光顕微鏡画像。真ん中の黄色の部分が古銅輝石。周りの白い細長いのは斜長石。何故かHDに一枚も顕微鏡画像が入っていない。マズイ!
海鹿島礫岩は、チャート礫が主体の砂礫岩。左手の露頭は勇気とバランス感覚と運動神経と体力が有れば渡れる。テトラポッドから防波堤を進み、礫岩に登るのに少し段差が高いのが問題。右手の防波堤の切れた部分に、足がかりが有るが下は青い海で滑ったらアウト。一応私は上がった事も有るが降りるのも段差が高いので飛び降りて骨折なんてのもシャレにならない。
一応、無理せずともこの程度の観察は可能。
「美加保丸海難の碑」も海鹿島礫岩。「駐車可」の前はテトラポッドが有り、引き潮でも海岸に出られない。この付近の説明は次回。
処で、「大鏡洞推定地」と云うのが有るが、利根川河口部は防波堤と埋め立てで、明治から比べると大幅に景観が変化した場所。黒生に行く機会がありましたら、通りに面した工場などの看板に御注意頂くと「瓦屋」の数が滅法多いのに気付かれると思います。
この瓦屋さんは、今でこそ愛知の高浜等を主とした大量生産品の仲買や施工業者に特化されてるが、元々は地元産出の粘土を材料にしていた。この粘土が実は河川由来では無く、付加体のメランジェ由来の粘土だった様で掘り尽くして現在は全く手に入らない。案内図の左手に「大鏡洞推定地」と書いた場所は、採掘した粘土を精製する為の大きな泥田が有ったと推定している場所です。雑草の中にチャートの露頭があるかもしれない。
「だるま窯」と言われる瓦を焼く窯を描いた絵皿。今も瓦屋を営むお宅に保存されていたもの。御爺様がフト思い出して探し出してこられた。
また、下図は、その「大鏡洞」の想定図。昭和六十(1985)年、
この瓦を調べて銚子史談会で「土が瓦に生まれ変わって-瓦のふるさと黒生を訪ねて-」を報告された平林さんの友人が書かれた添付図。
砂岩の調査で銚子に数年通った私は、同時期にメランジェ由来の粘土の成分を調べたくて、私より少しだけ年配の平林さんを探し出し、ジオパークの波も在ってほぼ30年振りに地元のケーブルテレビが放送する講演会での再講演が実現した。平林さんは一躍地元の有名人になられたので、この後の調査は平林さんに御同行頂く事で古瓦の収集や情報提供が一挙に加速されて助かった。後援会の日に石巻で野蒜石の石切り場の調査をしていた私は残念ながら「有名人」になり損ねた。
最後の画像は古瓦の断面の観察画像の一例。 まだまだ続く
0 件のコメント:
コメントを投稿