『周辺土砂は神奈川や東京湾岸の土となり、緑色岩化した枕状溶岩は群馬から運ばれて庭石となる』
国土地理院地図座標:35.115848,139.845325
JR内房線:安房勝山駅から佐久間川に沿って徒歩:約 1.8 km
館山自動車道を東京湾アクアラインから南下すると、富津の手前では広大な太陽光発電所敷地となった砂取り場が広がり、富津に近付くと「鋸山」の景観が見え、更に南下して「鋸南富山IC」付近に差し掛かると、段々に区切られたはげ山の景観が広がり始める。この付近は江戸が東京に変わる頃から大量に土砂の採掘が行われて、勝山の港から土砂運搬船が東京湾の対岸に向った地域。内房線の西側は別として、東側は殆どが土取場だった筈だが、地層の中に部分的に「泥岩」或いは「凝灰岩」に匹敵する部分が含まれていて、「鋸南町」と鋸山の南の街と云う名なのに房州石の利用は少ない。
土取場に隣接する様なこの地域の古刹と集落の氏神様の「天寧寺」と「熊野神社」が現存する。天寧寺の入り口の道路は、裏の土取場からのダンプの出入りも有って幅広く造られているが、その一部に地元のやや硬い泥岩を用いた土塁が築かれ、房州石に似た石材の燈籠がある。残念ながら改修作業中で職人が入っているので、中は拝見しなかったが、道路に面した庭に緑色岩の枕状溶岩の岩塊が庭石として置かれていた。職人さんと雑談した時に、私がこれは群馬の渡良瀬川の河床辺りから持ってきた庭石ですね。と云うと、まとめて持ってきた庭石の一つだよと言われた。
周辺土砂は東京湾の対岸に運ばれ、緑色岩は群馬から運ばれてくる。ちなみに、この付近の河川には蛇紋岩礫が転がっているが、実はこれは三重県鳥羽市の菅島辺りの蛇紋岩が館山港経由で運ばれて、蛇籠に入れて使われていたものが脱落した可能性が高いので、河床での蛇紋岩採集はお辞めになった方が良い。
鋸南富山IC」付近の段々になった半分はげ山の風景。土取場の跡天寧寺入口付近に築かれた泥岩~凝灰岩の石塁
石塁に用いられている「岩石」の中には、乾裂が見える泥岩も混じっている
石塁に用いられている「岩石」の中には、乾裂が見える泥岩も混じっている。でも硬い石材ならこんな風にはならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿