国土地理院地図座標:35.106479,139.833909
JR内房線:安房勝山駅から徒歩:約 1 km
房総半島南部は凝灰岩質の地質が広く分布しており、鋸南町でも鋸山に近い場所では房州石(元名石)が多く使われているが、安房勝山付近は地産地消型の石材が多く流通した地域です。特に、この安房勝山付近は、東京湾の対岸地域の埋め立て用途の為に凄まじい土砂採掘による地形の改変が凄まじい地域になっているが、所々に意外と丈夫な石材となる地質が分布して「地産地消」型石材として今でも神社や古刹などに祠や石垣・参道階段等が残っている。この日は内房線の東側の小さな社や古刹、無縁墓地等を回って、地元の「堤ヶ谷石」が採掘されていた場所に近い高度は低いが急峻な崖の梺と、細い細い痩せ尾根上の神社を訪ねてみた。ここでは、私は初めて観察する機会を得た「丸彫り三猿」をご紹介する。
参道階段こそは改修されコンクリート製だが、石垣は地元の石材で築かれている。狛犬は苔生していてとても石材を観ることは出来ないが、恐らくは伊豆の緑色凝灰岩製階段を上がって右手を見ると、この付近の石材を使った、凝灰岩としてはやや大きめの石祠が六基。屋根を掛けて守られているのだが、見慣れないものが見える
やや風化で「溶けている」大きな石祠の傍に、プラモデルの「ガンダム」の様なものが寄り添っている。
接近して見ても元の形状が何だったのか、判らないのだがどうやら、庚申塔に付き物の「三猿」の一つが「丸彫り」されている状態らしい。勿論、これで一体。左手のやや大きな石祠に、似た様な形状のものが二体入っている
そのガンダム的形状の部分を拡大。この二体は頭があるので、確かに「猿」と言われれば見えない事も無い。
傍に鋸南町有形文化財「山王系庚申石祠一基」とある。寛永十九(1642)年の年号が刻まれていた事が確認されているらしい。この付近の凝灰岩は、南伊豆から運ばれて来た凝灰岩程硬くは無いので普通ならば文字は溶けて読めなくなることが多いのだが、
あるいはこの石祠を長寿命にする為に考え出されたのか、屋根がとても大きいので、石祠の側面に雨が当たらないので寿命を稼いだのかもしれない。
この付近はメランジェの露頭が在るので、時間さえあれば海岸線を歩くのも楽しい。白旗神社は図の中央部の赤丸だがその南にもう一つの赤丸がある。これは急傾斜の参道を登った痩せ尾根にある「愛宕神社」の位置。この白旗神社の境内から参道が伸びている。資料用に堰の俯瞰図が欲しくて登って見たが残念ながら見通しが効かなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿