沢田の石丁場は最もにぎわったのが明治23~25年頃で、石工がなんと百三十名従業したと云います。収率の良い石切り場で石工十名が一ヶ年に一万才(才・切:30cm角立方体)を採掘すると云われた時に、十五万才を切り出したと云います。(静岡県産建築石材試験報文)主に生産されたのは淡い緑色の「本目」と言われたもので、礎石等に使われた「黒目」はやや生産量が少なかった様です。年間の生産量からもわかる通り、石丁場は沢田の尾根筋の至る所にあり、中には尾根を横断する坑道も有ったと云われます。我々が坑道の一つに辿り着いたのは、既に午後も遅い時間でしたので、ゆっくり場所を吟味する余裕も無く取敢えず、道路沿いの坑道に入ってみました。
坑道は尾根筋に沿った林道の脇にこの様に大きな口を開けていました。入口は型鋼で縁取りされていますがしっかりとした入り口で少し頭を下げると入って行けます。足元は地下水が湧きだすのか少し水が流れています。ライトの光が届かないので先が見えずに何処迄行けるか判らない状態で歩き始めました。地層は、坑道に対してかなりの傾斜角で斜交していま
側壁に明らかなすべり面が見える処もあります
坑道を入って間もなく壁面にクラックが沢山見え始めました。この先で突然、崩落が始りましたが、我々が持って居た懐中電灯では光が届かず、崩落の範囲も足元の状態も良く確認出来ない状態になってしまいました。房総半島の坑道掘りを見慣れてそれに合わせた装備は、伊豆の坑道掘りの探索には全く足りない状態である事が良く判りました。
適当な切り石を見付けて外に運び出してみました。
破断面は予想通り細粒・均質・緻密です。
近代的な駆動装置の一部が雑草の中に放置されています。昭和の後半の機械装置に見えます。切断機の為の電動機と減速装置の様です。動力ケーブルが引き込まれています。碍子工事もしているので工事屋さんが施工したものでしょう。昭和30年代まで出荷をしていたのではないかと思われます。伊豆の凝灰岩に関して、私の知り得た施工年代の最も新しいのは昭和37年です。
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