2020年7月30日木曜日

岩石と地層の表情:089;下田市内:幼稚園丁場

市内の中心部に石丁場跡が在るのを忘れていました。一応、直接的な露頭は消滅しているのですが、まだまだ見所の有る石切場で有るのは間違いないので伊豆急下田駅からも近い「幼稚園丁場」にも触れておきましょう。石切りを行っていた頃は恐らく「海善寺の上の丁場」等と呼んでいたと思うのですが、実は小丘の上の石切場跡の平場が丁度良い広さだったので(多分)現在は下田市立幼稚園」が立地しているので、そのように予備均しています。交通の便は至極良い処です。
ここで産出する石材は、実は石碑や、建築物の基礎の部分に使われる事が多いのですが、淡褐色ですが色白なの、基壇の隅や階段の初段等にも使われています。千葉県では段丘崖の参道用の階段石が多く、埼玉県では神社の基壇等に良く観察されるものと同じ石材です。
地図は下田市の比較的中心部、伊豆急下田駅のやや南側を示しています。緑色は主要道路。赤で囲んだのが「幼稚園丁場跡」。黄色は広い寺領をお持ちだった「海善寺」さんの本堂と庫裏。水色は隣接する「下田八幡神社」です。左手の緑の線の道路が切れているのは、幼稚園丁番の下をトンネルで抜けているからです。海に近い場所ですが意外と広い平野が無い街なのです。
古文書から抜粋させて頂いた絵図です。文政十一(1828)年頃の絵図で、石切りが盛んになるにつれて、海善寺さんと下田八幡神社さんの夫々の所領の境が微妙な問題をはらみと言った・・・の絵図です。
丘の上にある幼稚園の一番良い場所は、実は幼稚園が立地した関係で、津波の際に避難する通路を確保する為に、地震で石切跡の崖が崩壊して避難路が使えなくなるのを防ぐ為に
しっかりモルタルを吹き付けて固めています。子供たちを守る為なので仕方ありません。端っこの方が少し吹付を免れ提案すね。この手前側に幼稚園が在ります。
幼稚園が立地している広場の片隅にはこの様に石切の跡が残っています。崖と幼稚園の敷地の間には狭い空間があるので、近付く事は出来るのですが、子供たちの好奇心を掻き立てると大変なので、園児が居る時間帯にこの周囲に近付くのは辞めて下さい。
下田八幡神社から此処に昇る道路脇にも露頭が在ります。
堆積時の海流による斜層理(ラミナ)が観察されます。この緩い斜めの縞模様がこの石材の特長の一つで、石材を側面から観察する事が出来ると確認し易いのです。
岩石そのものは、石灰質が豊富で良く締まっています。石灰質の微小な化石(石灰藻やフジツボその他の生物遺骸)層とやや凝灰質の層が非常に薄い丁度「互層」をなしているイメージです。
崖のひび割れで弱い部分が風化しているので、その構造が良く判ります。
接写レンズで拡大すると白い小さな石灰質の破片が沢山見えます。薄く調整した塩酸を一滴垂らすと猛烈な勢いで炭酸ガスの泡が出ます。
海流に拠る斜層理の部分を拡大しています。前にご案内した白浜付近ではこの斜層理が観察出来無いものがありますが、伊豆産出のこの種の石材には、ほぼ観察されます。下田周辺が多いですね。
下田八幡神社参道に建立された灯篭の棹の部分を拡大しました。角度が非常に緩いものばかりですが美しいですね。
これも下田八幡宮境内の灯篭の棹の一つです。表面を「岩粉」で塗り固めているのではないかと思われますが、風化して何処かが剥離しない限り見分けがつかないのが難点です。時々、神社の亀腹に同じような仕上がりのものを見掛けます。

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