崖の左手の方が切れ込んでいるのは、2011年の東北東日本大災害の地震の余波。左手の崖は昔の石切り場の跡である。
新しい墓標も有るが、苔むした石碑が多数存在する
欠けたり、剥がれたりでややいたわしい石柱は伊豆の凝灰岩で出来ている
僅かに残る仏の姿から六地蔵であった事が想像できる
風化剥離した部分にカメラを目一杯近づけて、体を石碑に固定して動かないように注意しながら接写を試みる。スケールを置く余裕は無いが、嬉しい事に細かな部分までよく写ってくれている。砂粒程の細流部分と、割れて尖った角礫状の凝灰質の塊が程よく混じり合っている。これが、石工さん達に「みどり」と呼ばれる、彫刻に適した緑色凝灰岩の組織だ。掘り出されて彫刻を施された当初は,濃緑色だった筈だ。画面の横幅は、恐らく 1 cm 以内だろう。
時代は確認できなかったが「根府川石」に似た石材に彫られた「馬頭観音」自動車が
「日露交戦」と「馬力」の文字が読み取れる。普段は岩舟山を上り下りしながら石材を運んだ馬も、日清・日露の戦役の際には、戦地に送られたのだろう。
墓地の南西側の隅には、庚申塔や石仏などが集められているが、みな岩舟石なのだろうか、風化と蘚苔類の着生で文字は殆ど見えなくなってしまっている。
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