少し距離は有るが、今回の旅の目的の一つは、間瀬海岸の「白岩」は、石灰質の凝灰岩だという「うわさ」を確認する事だった。果たせなかったが、「石灰質凝灰岩」等と云うものは実は非常に少ない。伊豆下田付近で産出し、千葉・埼玉に多く運ばれて来た石材に、石灰質の生物遺骸に富むものが有るのだが、これとの類似性があるのか否か確かめたかった。また、「夏川石」と云う矢張り石灰質生物遺骸にとむ砂岩系(凝灰岩ではないらしい)の石材と含まれる化石が似通っているので、何処かで実例を観察したいと思っていた。府中八幡神社では果たせなかったが、正保二年(1645)製の緑色凝灰岩製の鳥居の残骸を観察する機会を得たのでご紹介したい。鳥居は木製を以て最上級とされるらしいが、年代もここまで遡ると、山形方面の凝灰岩製の鳥居以外は風化により年号が読めなくなる事もあり、観察例は非常に少なくなるものです。
拝殿の庇を受ける柱の束石。凸型の形状が良く判る。
束石の側面を接写で拡大して観察。
社殿の床下は太い針金の金網で囲まれているのだが、これも同じ種類の緑色凝灰岩の様だ。
床下をこまめに覗きこんで居ると、鳥居の島木の様な形状の緑色凝灰岩が見えるのに気付いた。
金網の為に写し難い事夥しいのだが、島木の隣になにやら文字を刻んだ柱らしい形状の同じ緑色凝灰岩の円柱が有りなにやら文字が刻まれている。
小まめに無駄を承知でかなりの枚数の写真を撮影したが、その中の一枚に、画像を回転すると「二暦乙酉八月」の銘が見える。干支は60年に一回巡るので1500年以降の干支で、「乙酉」でかつ「二年」を探すと「正保」、「宝永」、「明和」が相当する事が判った。
鉄板で保護されているが、緑色凝灰岩の鳥居の柱に「天保五」までの文字が読める。
八幡宮と刻まれた部分も緑色凝灰岩らしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿