関宿橋西詰を起点に江戸川右岸を遡り、13日に見逃したポイントを拾ってから関宿城博物館までを歩く積りでスタートしたが、西関宿地区は関宿の関所が置かれた場所だけあって、小さな神社や墓地の脇の無住の庵まで、伊豆半島南部の凝灰岩質石材が大量に使われており、何気ない農道の脇にも同じような凝灰岩が転がっている。石碑類は勿論、明治以降のものは石巻産の「井内石」なのだが、神社内の石碑類はほぼ「根府川石」が使われている。整然と整備された寺付の墓地は別にして、集落毎の小さな墓所には、同様に伊豆の上賀茂付近の凝灰質石材が使われているので、観る場所が多く、No.992~995 までの調査資料が調整出来そうだ。もう直ぐ、1,000件の通過点だ。
先週:13日と今日20日に歩いたコースのGPSトレース。今日は、11,673歩。地図上の距離だと 5.5 km 余りだが、夫々の観察ポイントでは右往左往するので歩数は増える。13日は五霞ICの西側まで足を運び、今日は上流側に足を伸ばした。
石灰質生物遺骸が豊富だけれど凝灰質の砂粒も多く含む取敢えず「石灰質凝灰岩」と呼んでいる石材の中でも石灰質が豊富で実に丈夫な素材が大量に敷石や礎石として使われていた。
石灰質凝灰岩と呼ぶ石材の標準的な(でもやや石灰質が多いが)石材で比較的表面状態が良い石材の接写拡大図。画像の横幅は 7 cm.
根府川石の石碑表面の拡大図。手彫りの文字が石工の苦労を偲ばせる。
関宿関所跡の案内看板。
「棒出し」と云う「減勢工」の説明図。この棒出しに、栃木市の「岩舟石」が使われたのだが、今は何も残らない。関宿城の川沿いには、大きな岩舟石の石材が参考用に置かれている。千葉県立中央博物館の秋の地質観察会は、この石材の石切り場と、これを利用した建築物などを巡る。私も来週の金曜日は岩舟周辺の建築物の補足調査を予定している。
権現堂川と江戸川の接点は実はこの付近に在ったのです。権現堂川はこの付近では北東に流れて利根川と合流するのだから面白い。画像の右端の方に「関宿城博物館」の小さな天守が見える。
「海から 59.0 km」(東京湾から)標識。中央やや右手に「関宿城博物館」の天守。
上賀茂付近で採掘されたやや粗粒の、火山岩片(砂礫サイズ)と粒状組織の凝灰質。文化十(1813)年癸酉に建立された十九夜供養塔の礎石部に使われた石材の上の面なので、風雨に晒されて、粒子の輪郭がはっきりと見える。この供養塔の「蓮華座」と「礎石」はこの凝灰岩なのだが、最上部の石仏や塔身は別々の材質なので、何度か補修されたものだろう。
関宿城博物館方面に帰り始めた時に、予想外の方角から地域のコミュニティバスがやってきた。バス停は直ぐ傍。博物館まではあと 1.5 km はある。博物館まで行った方が途中観るものも有るし、帰り着くのもかなり早いのだが、目の前のバスの誘惑には負けてしまった。
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