埼玉県の幸手周辺部の落穂ひろいをしようかと、FWに出たのだが、地理院士地図を拡大して要部を複写した時に県境を見落とした様で、最初は幸手市内の西関宿を歩いていたのだが、フト、道路標識を観ると「茨城県に脚を踏み入れてしまっていた。雑草が生い茂り、廃屋の様な「神社」が続き、幸手市内に戻ろうと思いながら、圏央道の五霞ICの下を潜り抜けて暫く歩き「幸主神社」に辿り着いた。
この付近の神社の常で、水害対策の為だろう 3 m 近い土盛りの上に鎮座している。「由緒沿革」を記した石碑に拠れば、下総国葛飾郡幸館新田村に天明四(1784)年に、稲荷大明神として祭神し、大正二年に周辺地区の香取神社を合祀したものとされる。社殿は拝殿と本殿の間に渡り廊下の無い、埼玉東部でたまに見掛けるやや不思議な造りである。昭和五十六(1981)年に社屋を再建し遠目にも本殿の礎石は大谷石が使われており、今日は収穫は殆ど無しかと思ったが思いの外面白いものが現れた
社殿は土盛りの上に鎮座まします。鳥居は新しい花崗岩。土盛りの前面は河原石で押さえられている。階段は安山岩
拝殿と本殿は間が通り抜けられる別個の建物で、渡り廊下が無い造り。これが実に調査に役に立つ結果となった.右手が拝殿。
土盛りの斜面の外側に数十個残置されていた石材。ほぼ形状寸法は同じ。恐らく本殿の基壇か礎石につかわれたものであろう。伊豆半島南部の須崎付近を中心に採掘された石材
石材表面の観察例:風化で白い部分が目立つが、これは珪藻類他の石灰質生物遺骸。火山岩系の砂が混ざる。画面横幅は 10 cm
石材表面の観察例:画面の高さは 60 mm
本殿基壇の石材は大谷石の見立てだが、基壇側面の一部に苔生した別の石材が含まれているのに気付いたが、表面の蘚苔類で岩相が確認出来ない
本殿と拝殿の間で本殿基壇の上段に大谷石では無い凝灰岩の石材が見付かった。右上は大谷石。
凝灰岩の上側の面:火山岩礫・砂が観察される。切石の幅はほぼ 18 cm
石材表面の風化により明らかになった堆積時のラミナを接写拡大。少し、房州石にも似た石材で南房総の下賀茂付近で採掘されるものと同じらしい
最近、良く出会う、真っ直ぐな流理構造を持つ、安山岩溶岩。細長いものを切り出すのには、この様なものが有利なのだろうか、鳥居や階段の脇石等で良く観られる。これは階段の踏み石の例
同様に階段の側板。これも薄くて細長いものが必要なので良く判る。こんな真っ直ぐな流理模様を持つ安山岩質溶岩は何処で採掘されたのだろうか?
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