2019年3月22日金曜日

神様は御遊学中?

3月に入って3回、幸手市惣新田と隣接する杉戸町で数年前に歩けなかった場所の落穂ひろいで歩いてみた。今は「交通不便な農村地帯」だけれど、実は中々侮れなくて、小さな住宅団地の傍の小さな社殿でも礎石に伊豆の石材が使われていたりする。
凝灰岩の仏像は、粒状の凝灰質の中に極少量の小豆色の小岩片が混じる緑色凝灰岩、石屋さんの言う「みどり」に彫られたものが多く、杉戸町並塚の中央神社の六地蔵は「宝永五戊子年(1708)仲秋」に、

正面下に「成田山」と書かれたこれは不動明王だろうか?には「慶応元丑年(1865)」と刻まれている。

一見、「根府川石」かと思うような形状の「瀧御宮大権現碑」は近寄ってみると、根府川石とは岩相が異なり、あばた面で斑晶が結構観察される。

側面に「榛名山◎別当大僧都・・・」の文字が見えるので、帰宅後、産総研の「詳細火山データ集>榛名火山の噴出物>古期榛名火山の噴出物」の項を見ると
第7図に「古期榛名火山の安山岩溶岩 かんらん石(ol),普通輝石(cpx)斑晶が点在する.渋川市伊香保町高根付近.GSJ R94155.」とある。接写画像の左端が「オリビン」で中央やや右手が「輝石」に見えてしまう。しまった!手抜きしないでもっと綺麗に写すべきだった。残念!!!

https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/haruna/page4_1_1.html
三十数か所を巡った中で「香取神社」だけで12ヶ所もあるので、写真の整理に苦労する。中には丁度新築中の社殿が在ったので、この神社の写真ホルダー表題は「190322_24_幸手市惣新田_新築中香取神社」にしてしまった。覗き見をさせて頂いたが、まだ工事中で神様は御不在である。

緑色凝灰岩も実に様々で、「190322_25_幸手市惣新田_4号脇香取神社」と名付けた香取様では束柱がこんな雰囲気に風化している。

束石の右前が何故か割れていたので接写画像を取らせて頂いた。どうやら石灰質を帯びて硬そうだ。

礎石に石灰質の生物遺骸(紅藻類とか)が主成分の石灰質凝灰岩にはやや珍しくフジツボらしい大きな化石が含まれていた。この種の石材で形状がハッキリ判る石灰質は珍しい。

年代の手掛りが無いか探していると、階段の造立が「文政十三寅(1830)九月」とある。安山岩製の燈籠が直後の「天保九年(1838)」で、社殿の建設は文政十三年と見て良さそう。
古いお屋敷跡の近くに、石灰質の大きな切石や、緑色凝灰岩を二段に積んだ低い石垣が現存していたが、古の姿は不詳。



緑色凝灰岩には幾つもの水道らしきものが穿たれていた。二時間に一本の何処まで乗っても「100円」のバスの時間が迫って辿り着いたこの地域最後の神社では境内の高く伸びた樹木を伐採していた。最近は、神社と云っても「森」の無い処が増えてしまった。

杉戸町の中で、古い材木やさんの石垣に化石混りの緑色凝灰岩を観察し、近くの前にも訪問した神明社で石垣の礫混り緑色凝灰岩の礫の画像を撮影して今日のフィールドワークは完了。

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