2018年2月22日木曜日

青柳文蔵墓と石工青木宗義

石工の青木宗義は、伝えに拠れば元々小田原城の煙硝蔵の石組の見事さに家康が着目して取り立て「関八州石屋棟梁」として遇されたのが始祖と思われます。
 この為、石工でも、安山岩系の硬石を取り扱い、素晴らしい浮彫などを残しています。実は、有名な石工だが、私の調べている凝灰岩の世界とは無関係だと思っていました。今回、草加市神明町の「三社大神」神社の扁額に「青木」の銘が在るのに気付いた時には、当然これが硬石と思い込み、その緑色が本来の小松石(青)とは大きく異なるのに本小松石だと一瞬思い込んでしまった程でした。従って、扁額を詳細に検討して、これが伊豆の凝灰岩の中でも上賀茂付近に産出するものに近いのに気付いた時には石工青木宗義が凝灰岩も扱っている事に驚いた次第です。
 今日は、雪の中を出掛けた序に、豊島区高田にあります「慈眼寺金乗院(目白不動)」を訪ねました。此処には「青木宗義」の名が刻まれた「青柳文蔵」(天保十年没)の墓碑があります。

三面に細かに青柳文蔵の生涯を記録していますが画像は左側の記載を示しています。

今回確認したかった石工の署名の詳細です。左側の緑色はスケール替わりのフィールドノート:165 mmです。

金乗院の山門と石段です。実はこの石段と境内の墓地に続く緩い傾斜の階段は、似た様な凝灰岩で敷かれ、坂道の最上部には天保十一年の標柱が建てられています。

以下使用されている石材の画像です。まさかの雨でしたので何れ再挑戦の予定です。





「三社大神」の扁額が造られたのが何時頃のものなのか?を知る為に、出来れば同じ署名の石造物を探し出したい事。草加の「青木宗義」関係の文献に記載された名前(青木庄左衛門)と扁額の「荘左衛門」の関係。あるいは「三社大神」を護持しておられる久野(ひさの)家:大津屋殿の御商売の歴史と、神社の創建時期や移転時期との関係などを調べてみたいと考えている。

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