2017年5月15日月曜日

京都疎水の煉瓦 (2:完)

「水路閣」は、南禅寺境内に茂る樹木の為に湿度が高いのか黴だらけでどうも食指が動かなかった様で遠景ばかり撮影している。なんせ1,400万枚もの煉瓦を疎水関連で製造していると云うのだから、手作りの煉瓦のような個々の味わいは薄い。自分の撮影ながら面白くないので大きな画像から色々とトリミングしてみました。5枚が水路閣のものです。









琵琶湖疏水記念館の地階の疎水分水路出口の煉瓦と、北垣国道(知事:明治十四年着任)が遺した「楽百年之夢」(琵琶湖疏水は100年先の京都のためを思って作ったという意味か?)の扁額。

蹴上発電所の後から作った建物の一部を道路から撮影したもの。南禅寺の境内に置かれた周辺案内図が「南上」で書かれていて古い時代の私には見難く(カーナビも北上で読む)道を間違えて後のスケジュールが押せ押せになり焦っていたのか別の建物は撮影していない。


  携帯電話等が普及する前は、出張の度にスケジュールを調整して京都を隅々まで歩き回った筈なのに、20年以上御無沙汰すると交通手段が変わって異郷の地になっている。尤も、地下鉄のトンネルや水路トンネルの工事現場にも随分出入りしたものです
  疏水記念館に展示されていたペルトン水車。これに放水銃から高圧水を吹き付けて回転させる!確か、水量が小さくて落差が稼げるときに効率が良かった筈。

蹴上の発電所は、現代の発電所と異なり需要者側の要求に応じて、電圧も周波数も様々で、撚糸用では高速回転用途の為か周波数が125~133Hzが使われたし、交流も単相から三相まで、直流も有りで発電機は沢山並んでいた。

宮城県石巻産の井内石を用いた「九条山浄水場」の銘板。南禅寺境内にも「駒ヶ瀧 最勝院」の石碑が井内石だった。この石材は強かった

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