京都疎水は明治二十一(1888)年に完成した水路橋で、煉瓦は疎水用に造られたので、展示サンプルには「疎」の文字が見えます。(刻印は複数有る様です)煉瓦の製造工場は、現在の地下鉄「御陵:みささぎ」駅付近に建設されたのですが現在は全く遺構は無いようです。(標柱が建てられて居た様に記憶します)
疎水の下を潜る歩道トンネルには「雄観奇想」の扁額が掛っています。
トンネル内の煉瓦積みは一般的なフランス積やイギリス積とも異なる「ねじりマンポ」と呼ばれる積み方で、当時は、これがアーチの荷重を支えるには効果的だと考えられていたのだそうですが、如何なものでしょう?「
マンポ」は石炭山や鉱山の「間府:まぶ=(短い)坑道」から来たと云う説が一番正しい様に思われますが、少々音感の変化が大きすぎる様な気もします。
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