一体誰が鬼を怒らせたのか、それとも鬼が怒った様に荒れるからなのか?不思議な名前の川だが、上流の地質が興味深く野岩鉄道沿いの河川を歩くのが好きだ。
埼玉スリバチ学会と日本火山の会の両方の良き師である秦野氏からのサジェッションを頂いて、奥州からの陸路から鬼怒川舟運への転換点である鬼怒川左岸中流の旧阿久津河岸付近とそのやや上流の勝山城跡や、五十里湖を越えて野岩鉄道の三依駅近くの男鹿川等をのんびり歩いてみた。旧跡を全て見た訳では無いが古い画像を交えながら少しご報告をさせて頂く事とした。
旧阿久津河岸附近の河川縦断勾配は未だ結構な値を示し、川の流れは激しく河原には大きな礫がゴロゴロしている。意外に速い流れは水量も豊か
目をやや北に向けると高原山が右手に広く学校平の溶岩流を伸ばした姿が見える
東に目を転ずると、鉄塔の向こうに③男体山や赤なぎを擁する日光連山が望まれる位置に阿久津は在る
上流の佐貫付近には白色の流紋岩質凝灰岩が分布し急崖が残り、河床は洗濯板の様に凹凸が激しいので、舟運は阿久津付近まで遡上するのが限界だったのだろうと思う。
やや上流の男体山を望む佐貫の観音橋附近④~⑥では、大谷石の仲間の白色の凝灰岩が河床や岩山を覆う。
旧奥州街道沿いの一角には船魂神社⑦が建立されており、境内の燈籠の基台には「此方河岸道」と別の面には「左江戸道」と刻まれている。
拝殿の覆屋の中には杉皮で屋根を葺き彫刻が美しい拝殿⑨が鎮座し、旧阿久津河岸の街並みを描いた絵馬が奉納されている。
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