神社はその地域によって実は同じ系統の神社が固まって存在する事が多くあります。この神社の石垣には古い部分には伊豆石が、新しい部分には房州石が使われています。とは言え、房州石については、きちんと説明が出来ない「勘」頼りです。最初に伊豆石の部分を紹介します。境内を通り抜け神社の左手から裏の路地に向けるところにこのように低い石垣と石塀が有ります。
地面に近い分部に着目すると一番下に淡緑色の角礫を含む凝灰岩が使われています。
その上に、淡褐色でかなり草臥れてしまった淡褐色の砂岩が見えますがこれは石灰質凝灰質砂礫岩です。やや薄手の石材は、本来は石垣の笠石として置かれたもので、石塀を作る時にそのまま利用されてしまったものと思われます。
三段積まれた石塀の一番下がやや風化していますが、これは地面に近い事が影響したのでしょう。正面から見ると下図の構成です。石塀の部分はかなり新しいと思えるので房州石として考えています。これは別に述べます。
石灰質凝灰質砂礫岩の中に石灰質の塊が出っ張っていましたので接写して観ました。
大きめの有孔虫と思ったのですが残念ながら違った様です。
裏手の路地に面した石垣と石塀はこの様に続いて居ます。
下の方を拡大して観ます。
石灰質凝灰質砂礫岩は数が減って、大部分が淡緑色の角礫凝灰岩です。
神社の創建は弘安年間(1278-1287)年ですが、隣接の天妙国寺は元禄十五(1702)年に四ツ谷塩町から出火した大火で焼失していますので、この後の再建なのだと思われます。
使われている石材とその想定される産地:
斜交層理が発達し、石灰質の生物遺骸を含む石灰質凝灰質砂岩:伊豆下田付近。
資料整理番号:No.131091-03,最新観察時期:2016年6月24日
地理院地図10進座標系:35.611216,139.743535
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