2016年6月27日月曜日

立会川 天祖・諏訪神社の石垣石 (1)

「房州石」と「三浦半島の凝灰岩質石材」と「伊豆半島の凝灰岩質石材」の違いを明確にするのは、実はかなり困難な作業です。多分、これを明確な基準を持って区別出来る技術屋さんは誰も居ないと思います。
この天祖諏訪神社は、神社の由緒沿革によれば「浜川町と元芝の鎮守の氏神様として仰ぎ親しまれる天祖・諏訪神社は、古くは神明宮、諏訪社と称し、かっては両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで並び祀られていました。
天祖神社の創建は、建久年間の大井郷之図や来福寺の記録から西暦1100年から1190年頃に遡るとも思われ、諏訪神社は松平土佐の守の下屋敷かの海岸寄りにあり、江戸時代初期の寛永八年(1631)以前の創建と思われる。両社は昭和40年に合祀され天祖・諏訪神社と称せられるようになった。」と記載されています。

神社の神域は少し周辺より高く恐らくは土盛りされたものと思われますが、周囲を石垣で囲まれています。石垣は、間知石ではなく、凝灰質の切石が積まれたものです。
此の場所の石垣は、房州石も混じっているかもしれないが、伊豆石(軟石)の方が多いのだろうと考えています。石材の量はかなり大量です。
尚、この後に品川付近の幾つかの神社の石材を続けて紹介しますが、これらもほぼ、伊豆石の加納尾性が高いだろうと考えています。
取り敢えず、石垣の規模をざっと御紹介します。石垣のなかでも、正面を除き、南側角付近から南西側と北西側が全て凝灰岩質の切石を積んだ石垣になります。





詳しい画像は次回に

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