10 のパソコンは先日購入済だったので、昨夜から移行作業を始めたが、ドキュメントやピクチャー領域の容量が思っていたより少なく旨く収まらないし、もう一台の初期の10モデルとメーカーを変えたこともあるようだが操作性が違いすぎて前途多難。
画像も色が全く合っていない。慣れるしかないのだろうが、74歳には辛い。
幸いGoogle がそのまま移行出来たので、ネット環境は周到に準備したものが全く必要なくなってガックリ。高度な事は何にもいらない。今までと同じ環境が欲しいよ~!
2019年11月4日月曜日
2019年11月2日土曜日
伊豆の凝灰岩が墓石に使われ始めた時期;無縁仏の調査から
最近、大量の墓石を積み上げた無縁仏の墓地に接する事が重なり、見える範囲で、凝灰岩質石材に限定しながら造立年代を調べて見た。40数基の調査結果でしかないがその造立年代を年次順に整理したものをグラフ化し、以前凝灰岩質石材(墓石を含まない)のデータが800件に達した時に建立・造立年代を岩種別にグラフ化したものを比較してみた。
但し、安山岩や花崗岩のデータは積極的に収集したものでは無く、凝灰岩が存在した場所に一緒にあったものだけを収録しているので、石材一般の傾向を示すとは言えない。立ち上がりが、一般的石材より墓石の方がかなり早いのに驚いた。

伊豆の凝灰岩質石材としては増加傾向が始まるのは1820年頃から、これに対して房総半島産出のものは年代をその石材に刻む事が少ない石材なので当然数は少ないが、1850年を過ぎてから増加傾向が始まっている。
別に記している通り、安山岩や花崗岩のデータは積極的に収集したものでは無く、凝灰岩が存在した場所に一緒にあったものだけを収録しているので、石材一般とは言えない。

伊豆の凝灰岩を用いた無縁仏の墓石はこれに対して増加傾向が顕著になるのは1780年代と40年以上早い。

無縁仏とした中には、この様に門前に並べられた石仏も含まれている。

六地蔵として写真記録を整理していたものも、見直すと次の頁に示す様に墓石であった。

同じ年の五月と十二月に姉妹が亡くなっている。意外と子供の墓石が多いのにも驚く。
古い時代の無縁仏を保存しておられる寺院は非常に少ないので、この調査がどこまで広げられるか判らないがもう少し調べて見たい。
但し、安山岩や花崗岩のデータは積極的に収集したものでは無く、凝灰岩が存在した場所に一緒にあったものだけを収録しているので、石材一般の傾向を示すとは言えない。立ち上がりが、一般的石材より墓石の方がかなり早いのに驚いた。

伊豆の凝灰岩質石材としては増加傾向が始まるのは1820年頃から、これに対して房総半島産出のものは年代をその石材に刻む事が少ない石材なので当然数は少ないが、1850年を過ぎてから増加傾向が始まっている。
別に記している通り、安山岩や花崗岩のデータは積極的に収集したものでは無く、凝灰岩が存在した場所に一緒にあったものだけを収録しているので、石材一般とは言えない。

伊豆の凝灰岩を用いた無縁仏の墓石はこれに対して増加傾向が顕著になるのは1780年代と40年以上早い。

無縁仏とした中には、この様に門前に並べられた石仏も含まれている。

六地蔵として写真記録を整理していたものも、見直すと次の頁に示す様に墓石であった。

同じ年の五月と十二月に姉妹が亡くなっている。意外と子供の墓石が多いのにも驚く。
古い時代の無縁仏を保存しておられる寺院は非常に少ないので、この調査がどこまで広げられるか判らないがもう少し調べて見たい。
2019年10月29日火曜日
岩舟石観察会下見:10月27日
観察会に向けての周辺の調査を続けて来たが、それも今日で終わり。今日は、文献に残る神社の鳥居や、岩舟石を用いた石蔵等の補足調査。何れも、観察会では皆さんを御案内できないが、観察会資料にはしっかりご紹介の予定。明日からは久喜市方面を歩く予定!

御姿から考えて「大黒天」と見当を付けたが伊豆の凝灰岩製である。

神社の門前に石碑が三基。右端は地元の岩舟石の細粒部分。真ん中は、伊豆の凝灰岩。左は、この辺の石材にしては色白だなと思って接写してみると・・・・次の画像

花崗岩。この付近で花崗岩の「自然石風」は珍しい。岩舟石には時折、花崗岩の大塊が含まれる事が有るらしいが、これもそんな一つだろうか?

岩舟石を用いた石蔵。現存する岩舟石を用いた石蔵は三棟。消火器庫が一棟。事務所兼資料館が一棟。列車への積み込み施設の一部などだ。

岩舟山を東側から眺めた図

飴の様な色合いのチャート。

今回の博物館観察会に向けた調査範囲。春先に調査した岩舟山中心部はトレース線が消えているが、この付近が当日の実際の観察地です。

御姿から考えて「大黒天」と見当を付けたが伊豆の凝灰岩製である。

神社の門前に石碑が三基。右端は地元の岩舟石の細粒部分。真ん中は、伊豆の凝灰岩。左は、この辺の石材にしては色白だなと思って接写してみると・・・・次の画像

花崗岩。この付近で花崗岩の「自然石風」は珍しい。岩舟石には時折、花崗岩の大塊が含まれる事が有るらしいが、これもそんな一つだろうか?

岩舟石を用いた石蔵。現存する岩舟石を用いた石蔵は三棟。消火器庫が一棟。事務所兼資料館が一棟。列車への積み込み施設の一部などだ。

岩舟山を東側から眺めた図

飴の様な色合いのチャート。

今回の博物館観察会に向けた調査範囲。春先に調査した岩舟山中心部はトレース線が消えているが、この付近が当日の実際の観察地です。
無縁仏の中の凝灰岩石材:造立年代の手掛り
墓地の中をウロチョロして古い凝灰岩質石材を探すのは、殆ど得るものが無いと考えて長年避けて来た。たまに「無縁仏」の中に凝灰岩質石材の墓石を探し出しても、密集して安置されているので、細かく石材の岩質を観る事も、刻まれた年号を記録する事も出来ないでいた。最近、幸手市、五霞町、栃木市岩船町、久喜市菖蒲町等を続けて歩いていると、意外と伊豆の凝灰岩質石材が数多く使われており、中には年号を確認出来るものが多い事に気付いたので、都市部や立派な墓地を持つお寺さんは初手から保存例さえ無い事が多いので無理だが、郊外の寺院や墓地の「無縁仏」のみを、最近調査対象に組み入れさせて頂いている。

石仏、石塔。石祠、礎石等多様に利用された粒状組織を持つ伊豆南部の凝灰岩質石材。この石材が実に多くの場所で使われている。風化してザラザラに見えるが彫刻や刻字には適した素材だ。

菖蒲の町外れの旧寺院墓地の無縁仏:これが四面ほぼ同型に積みあがっている

墓石の記載例:年号は干支が刻み込まれているので確定し易い。一人のみから五名まで様々。年号は1669年~1792年と123年間に及ぶものも有る。


年号が下部にあるので、日陰で写し込めない場合は次の画像の様に日陰と日照の有る部分の両方を写す。この例では天保二(1831)年を建立時期とした。

石材を見分けるのに重要な要素の一つ。堆積時のラミナが明瞭に観察出来る。粗粒部がラミナを示す例

これは細粒系だが、微細砂サイズで風化面にはラミナが出易いが、前の画像とはラミナの出方が異なる。

比較的多い、砂質の石材。全体が砂質のものと、粗粒部と混ざっている事が多い。破面では前画像と判別できない事が多いが、風化すると判り易い。

最初の画像と同種の、石材としては一番多い粗粒と細粒が適度に混じりあっているもの。
6枚目の画像とも同種類。この種には小豆色の火山岩の粒が含まれている事が多いので判り易い。

昨日の調査コース。たまにフラッグを立て忘れるが、トレースからも座標を拾えるので支障無い。

ある無縁仏でデータを採取した六例のデータファイルの一部。現存する墓石の 1/10 にもならないが、建立時期が判る墓石のデータは貴重だ。量的には安山岩が大勢を占める。大きな西暦文字表記が建立時期と判断したもの。文字サイズや配置からは、同時併記か追記したものかを考える。これは凝灰岩質石材のみのデータ。

石仏、石塔。石祠、礎石等多様に利用された粒状組織を持つ伊豆南部の凝灰岩質石材。この石材が実に多くの場所で使われている。風化してザラザラに見えるが彫刻や刻字には適した素材だ。

菖蒲の町外れの旧寺院墓地の無縁仏:これが四面ほぼ同型に積みあがっている

墓石の記載例:年号は干支が刻み込まれているので確定し易い。一人のみから五名まで様々。年号は1669年~1792年と123年間に及ぶものも有る。


年号が下部にあるので、日陰で写し込めない場合は次の画像の様に日陰と日照の有る部分の両方を写す。この例では天保二(1831)年を建立時期とした。

石材を見分けるのに重要な要素の一つ。堆積時のラミナが明瞭に観察出来る。粗粒部がラミナを示す例

これは細粒系だが、微細砂サイズで風化面にはラミナが出易いが、前の画像とはラミナの出方が異なる。

比較的多い、砂質の石材。全体が砂質のものと、粗粒部と混ざっている事が多い。破面では前画像と判別できない事が多いが、風化すると判り易い。

最初の画像と同種の、石材としては一番多い粗粒と細粒が適度に混じりあっているもの。
6枚目の画像とも同種類。この種には小豆色の火山岩の粒が含まれている事が多いので判り易い。

昨日の調査コース。たまにフラッグを立て忘れるが、トレースからも座標を拾えるので支障無い。

ある無縁仏でデータを採取した六例のデータファイルの一部。現存する墓石の 1/10 にもならないが、建立時期が判る墓石のデータは貴重だ。量的には安山岩が大勢を占める。大きな西暦文字表記が建立時期と判断したもの。文字サイズや配置からは、同時併記か追記したものかを考える。これは凝灰岩質石材のみのデータ。
2019年10月23日水曜日
上三依でサンプルを採取した硬い凝灰岩の観察
奥塩原 上三依水生植物園前の三段の滝付近で、ひとしきり遊んだあと、幾つか小さなサンプルを割りとって帰宅した。その内の一つがこの画像。今日は地質仲間の例会の日なので、実体顕微鏡を使って観察してみました。色は殆ど白に近いが僅かに緑色が残って居る様に感じるのは贔屓目かも知れない。所々に、灰色の粒と淡い緑色~黄緑色の粒が観察されます。

サンプルの全体。目盛は 1 mm単位。画像の横幅は70 mm。やや濃い灰色の点と黄色い紙魚の様なものが見えます。

三脚を忘れたので、マクロレンズを使っても、手持ちではせいぜいこの程度までした拡大できない。

実体顕微鏡を使うと、黄色い紙魚の様なものはこの様に大きく拡大して見る事が出来ます。薄片を作って調べた訳ではありませんが、恐らく「緑簾石」だと思います。

濃い灰色の点は表面が皺皺の丸みを帯びた形状が観察されます。劈開面が見当たりません。

サンプルを隅から隅まで観ていると、ビッカース硬度計の測定痕の様な四角錐に近い凹みが観察されました。

単眼だと立体形状が判りませんが、実体顕微鏡だと表面の細かな凹凸は別にして、高温推奨の両端が六角錐の様な形状がおぼろに浮かびます。前の画像の四角錐の凹みは二本の稜だけが目だっていたので、尖った錐の先端では無く横に寝た凹みだった様です。石英に間違いないようです。

最後の画像は、家を出る時にフト思いついて持参した伊豆の玄武岩の薄い破片に旨い具合に残ってくれたオリビンです。比較しようと観察したものです。

サンプルの全体。目盛は 1 mm単位。画像の横幅は70 mm。やや濃い灰色の点と黄色い紙魚の様なものが見えます。

三脚を忘れたので、マクロレンズを使っても、手持ちではせいぜいこの程度までした拡大できない。

実体顕微鏡を使うと、黄色い紙魚の様なものはこの様に大きく拡大して見る事が出来ます。薄片を作って調べた訳ではありませんが、恐らく「緑簾石」だと思います。

濃い灰色の点は表面が皺皺の丸みを帯びた形状が観察されます。劈開面が見当たりません。

サンプルを隅から隅まで観ていると、ビッカース硬度計の測定痕の様な四角錐に近い凹みが観察されました。

単眼だと立体形状が判りませんが、実体顕微鏡だと表面の細かな凹凸は別にして、高温推奨の両端が六角錐の様な形状がおぼろに浮かびます。前の画像の四角錐の凹みは二本の稜だけが目だっていたので、尖った錐の先端では無く横に寝た凹みだった様です。石英に間違いないようです。

最後の画像は、家を出る時にフト思いついて持参した伊豆の玄武岩の薄い破片に旨い具合に残ってくれたオリビンです。比較しようと観察したものです。
2019年10月21日月曜日
塩原温泉:福渡;箒川河床の緑色凝灰岩滑床
台風19号の豪雨で箒川もかなりの水量が流れたらしく、河床礫が濁流で一掃されて、河床の緑色凝灰岩が滑床の状態となり、その緑色が素晴らしく美しいとの情報が流れた。緑色がやや強調され過ぎているとは思ったが、河床全面が緑色凝灰岩状態と云うのも面白いと思って、その奥の上三依に行く序に立ち寄ってみた。関東では、先般確か洪水になった都幾川にも、緑色凝灰岩の河床が有り、台風の後などにその深く濃く美しい緑が現れる事が知られている。
上三依は、男鹿川沿いに水生植物園が在り良く通っている。園の直ぐ傍に「三段の滝」があり、河床に様々な、主に緑色凝灰岩類の岩塊が転石としてあるので、私はここでそれらの岩塊をいろんな角度から観察しながら、石材の表面に出てくる堆積構造と比較して自己流の岩石観察のコツを習得しようと遊んでいる。

福渡の橋の上から箒川上流を眺めた風景。

河床の状況。緑色凝灰岩といっても、既に退色して居て白っぽく、水の深さで青い色が美しく見えているのが判る。でも、河床がこれほどの広さで凝灰岩だとはしらなかった。

右手奥の方に人の姿が見えるだろうか?此処に駐車場があるので、観察には便利だ。

道路沿いの木々の間から河床を眺める事も出来る。

上三依水生植物園前の三段の滝。この画像の手前の両岸に様々な礫が転がっている。
勿論、男鹿川沿いには下流の五十里湖までに沢山の観察場所が分布している。

この付近としては比較的緑色の濃い方の凝灰岩の例。

この様に、観る角度によって全く印象が異なるのを観るのが一番面白い

礫混りの緑色凝灰岩の例

少し柔らかい凝灰岩の例。
上三依は、男鹿川沿いに水生植物園が在り良く通っている。園の直ぐ傍に「三段の滝」があり、河床に様々な、主に緑色凝灰岩類の岩塊が転石としてあるので、私はここでそれらの岩塊をいろんな角度から観察しながら、石材の表面に出てくる堆積構造と比較して自己流の岩石観察のコツを習得しようと遊んでいる。

福渡の橋の上から箒川上流を眺めた風景。

河床の状況。緑色凝灰岩といっても、既に退色して居て白っぽく、水の深さで青い色が美しく見えているのが判る。でも、河床がこれほどの広さで凝灰岩だとはしらなかった。

右手奥の方に人の姿が見えるだろうか?此処に駐車場があるので、観察には便利だ。

道路沿いの木々の間から河床を眺める事も出来る。

上三依水生植物園前の三段の滝。この画像の手前の両岸に様々な礫が転がっている。
勿論、男鹿川沿いには下流の五十里湖までに沢山の観察場所が分布している。

この付近としては比較的緑色の濃い方の凝灰岩の例。

この様に、観る角度によって全く印象が異なるのを観るのが一番面白い

礫混りの緑色凝灰岩の例

少し柔らかい凝灰岩の例。
2019年10月16日水曜日
岩舟町の富士山 (2) 石祠の素材は南伊豆の凝灰岩質石材
南伊豆の上賀茂付近で採掘される通称「みどり」と、須崎付近を中心とするやや広い範囲で採掘された石灰質生物遺骸に富む凝灰岩が、千葉や埼玉・栃木でも使われているが、不思議な事に、埼玉では大量に使われた「石灰質凝灰岩」は、渡良瀬遊水地の左岸の藤岡までは来ているが、鹿沼や栃木ではまだ「みどり」しか見つかって居ない。
富士山は、本物の富士山を観るには非常に良い立地なので、浅間塚並に信仰の対象にされたのか、石材を採掘した痕跡が無さそうなのだが、山中には「みどり」を使った石祠が数多くあるのが興味深い。文字を記録出来る伊豆の凝灰岩と、細かな文字を記録できない岩舟石の違いだろうか?

一の鳥居傍の石祠

山頂の神社裏手が「第三嶽 伊豆大権現」とある。富士講のミニチュア版を祀って日々歩いていたのだろうか?

山頂・神社脇の三基の石祠はどうやら同じ造りの様だが


一番右手の社殿に近いものと、中央では錆色の出方が違い過ぎて、しかも、伊豆の「みどり」ではここまで錆色が出るのは珍しいので、一応悩んでみる。

右端の祠には明治四十二年十一月の文字が刻まれている。左端も同じだが、中央の祠はその文字も消えている。

でも良く観ると、「みどり」の中でも砂粒がやや多い、粒状の組織が伺える。

山頂の東の参詣路らしい道筋の岩の上にこのような石祠が数体。年号は読めないが、伊豆の特徴が良く出ている。

石材組織の接写・拡大図:文字を彫り、祠を削り出すのだから、この接写画像では想像できないくらいに滑らかな仕上がりが手に入る。

中にはこんなものもある。「第一嶽 天照大神」だろうか?起点らしいが、どうみても岩舟石ではなく、コンクリート製である。
石祠本体は凝灰岩らしいが泥に汚れて正体不明
富士山は、本物の富士山を観るには非常に良い立地なので、浅間塚並に信仰の対象にされたのか、石材を採掘した痕跡が無さそうなのだが、山中には「みどり」を使った石祠が数多くあるのが興味深い。文字を記録出来る伊豆の凝灰岩と、細かな文字を記録できない岩舟石の違いだろうか?

一の鳥居傍の石祠

山頂の神社裏手が「第三嶽 伊豆大権現」とある。富士講のミニチュア版を祀って日々歩いていたのだろうか?

山頂・神社脇の三基の石祠はどうやら同じ造りの様だが


一番右手の社殿に近いものと、中央では錆色の出方が違い過ぎて、しかも、伊豆の「みどり」ではここまで錆色が出るのは珍しいので、一応悩んでみる。

右端の祠には明治四十二年十一月の文字が刻まれている。左端も同じだが、中央の祠はその文字も消えている。

でも良く観ると、「みどり」の中でも砂粒がやや多い、粒状の組織が伺える。

山頂の東の参詣路らしい道筋の岩の上にこのような石祠が数体。年号は読めないが、伊豆の特徴が良く出ている。

石材組織の接写・拡大図:文字を彫り、祠を削り出すのだから、この接写画像では想像できないくらいに滑らかな仕上がりが手に入る。

中にはこんなものもある。「第一嶽 天照大神」だろうか?起点らしいが、どうみても岩舟石ではなく、コンクリート製である。
石祠本体は凝灰岩らしいが泥に汚れて正体不明
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