所在地:東金市東金地区の地図を参照
九十九里浜に面した東金市と山武市が在り、その山武市に以前ご紹介した「浪切不動尊(院)」と言う崖に「懸崖造り」と云うのだろうか朱に塗られた派手なお堂が在る。この崖は一部は無粋な石垣が組まれているが実は、石灰質に固められた砂層のの露頭なのだがこれが、ごくたまに、石碑や石碑の礎石として使われている。それに、地衣類が着生していて岩相を観察するのが難しいのだが、なんだか似ていそうな石が、神社の階段に使われて居たり、中には小型の石蔵も在る。この「成東石」が中々正体が把握できないので取敢えず石碑類の礎石(造立年代が判るので)を探しているのだが、中々数が少ない。東の方は露頭から 21 km 離れた場所まで分布を確認出来たが、西の方が手薄なので東金付近を歩いてみた。露頭からはほぼ 7 km 付近で用例を数件探し出すことが出来た。最初の地図の赤丸は露頭が在る場所。青丸はこれまで探し出せている石碑類の所在を示し、緑丸が今回探し出せた場所。
赤丸は露頭が在る場所。青丸はこれまで探し出せている石碑類の所在を示し、緑丸が今回探し出せた場所。今回確認した場所を示す。僅か 500 m の範囲に三か所も
八鶴湖の湖畔に佇む「日清戦争忠勇碑」は明治二十九(1896)年の造立。石碑は本小松石と思われる(根府川石特有の流理が見えない)
石碑を支える礎石部分に使われた成東石は、不定形
成東石の裏側には生痕化石(巣穴化石)と思われる部分も。スケールは17cmやや南西側の「火正神社」境内に建つ「日露戦役祈念之碑」は、明治三十九(1906)年の造立。やや小振りで、碑面の石材は宮城県石巻市産の井内石。スケールは同じく 17 cm
礎石に用いられた成東石の拡大図
岩崎菅原神社の手水鉢は多少整形されているが、成東石らしい。残念ながら造立時期は不詳
切石積の倉庫に使われた産地不詳の石材は、凝灰質の雰囲気が在る。成東石同様に石灰質を帯びている様な雰囲気だが、希塩酸を掛ける訳にもいかないし手掛かりが無い。
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