2020年6月26日金曜日

岩石と地層の表情:059;観音崎:① 砲台に使われた白浜石灰岩

明治時代に東京湾湾口に築かれた砲台の中には、何故か伊豆の凝灰岩を使って築いたものがあります。この観音崎の「海上交通センターと観音崎灯台の傍に、二か所の砲台跡が現在も残されています。この砲台には、その経緯は不明ですが、伊豆の下田付近に産出する「白浜石灰岩類」の切り石が採用されています。或いは塩分を含む海風に強いからと思われたのかしれませんが、他の砲台では同じ石材は観察されない様に思います。
ここでは、「白浜石灰岩」が砲台のどのような場所に使われているかをご紹介します。と言っても、私は「戦争遺跡」については詳しく無いので、画像でご覧頂くだけです。尚、この白浜石灰岩類については、第二海堡の使用石材を調べる過程で、この「岩石」の下田付近の「白浜石灰岩類」の産状に詳しい方に、この現場で現物を見ながらご検討と御指導を頂いています。次回には、この岩石と石材について少し蘊蓄を傾けさせて頂く心算です。
尚、私は凝灰岩質の岩石を「石材」として用いる例を調査しているのでこれを無理やり調査範囲に含める為に「石灰質凝灰岩」と観察事例集に記載しています。
海上交通センターの直ぐ傍にこの様な砲台が並んでいます。本来は海上交通センターの部分も砲台だったのですがその部分は破壊されています。階段と緑の苔やシダ類が生えている部分を除くと比較的白い石材が使われている事がお判り頂けると思います。赤車線の部分には花崗岩が使われています。
この灰色の壁も実は白浜石灰岩です。黴や苔が付き易いのが難点ですね。切石の表面には斜層理が観察されます。
この窪みは弾薬庫から砲弾を搬入した際に仮置きするスペースだと聞いた記憶はありますが、本当かどうかは判りません。凹みの奥の壁は別にして白っぽい石材はみな同じです。
弾薬庫なのでしょうか?左側はレンガ積みで造られているのが判りますが、外側のみこの石灰質の石材が使われています。左半分は崩壊したのでしょう。
石材の表面が偶々、風化に拠る剥離で比較的綺麗な面が現れていました。斜層理が観察されます。基本的に「斜交」層理ではありません。
笠石にも同様な斜層理が観察されます。白い部分は石灰質が多く硬い様です。
広い通路の側壁もこの白浜凝灰岩が使われています。これも斜層理が観察されます。
隣の砲台との連絡通路はレンガ造りですが、腰部分はこの石材が組まれています。
腰壁を拡大して見ました。斜層理が観察されます。
ややフレッシュな面が見えましたので、スケールを置いて撮影してみました。白い物質の間に砂~礫サイズの岩片が含まれています。

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