神社境内のやや風化が進んだ安山岩の一対はやや太めのもので、安永六年巳丑(1709)二月の造立で、石工名は「佐吉」と「石屋佐吉」と彫られている。京橋の大工講中の奉納。


もう一対の狛犬はかなり凝った彫り物で、大正十五年九月、石工はおや、画像の下が切れている「梅田 三〇」、「仝 仙〇」と「仝 良」さてもう一度行かねば!



高欄の龍退治の浮彫は「熊山彫工」、虎退治の浮彫には「紅葉川住 石田屋和ト刻」とある。水滸伝にイメージを得たのかどちらも中国的な容姿である。



紅葉川は今の豊島区付近か、新宿区の紅葉山西迎寺付近は無いかと思われます。「府内」と云う枠を考慮すると新宿の石工の可能性が高いと思われます。造立は文政十一(1828)年だが、移転に拠る物か安政四年に一度修復されている。この「御府内石工拾三組総若者・・」(安政四年:1857) として刻まれた石工の名を拾いに行った次第。この石塀は関東大震災で破損し翌年に修復されている。



以上
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