昨日は午前中だけの仕事になり、リュックにカメラとGPSは有るので、都会の坂道を歩いてみようと無謀にも地図も無いのに赤坂を歩いた。都会に美しいビルが立ち並んでも、坂の多い場所は意外と古い石垣が残っているものなのです。12,000歩程歩いて7か所で古い石垣を観察出来たのだが、一番大きかった石垣が「赤坂7丁目」の「高橋是清翁公園」の一角。道路を隔てた富山県会館の石垣も房州石で築かれていた。半日、まがりくねった赤坂の坂を上り下りしていたら飲み会の時間が迫っているのに自分が何処にいるのか判らなくなって、見付けた交番に入り、思わず口から出た「大人の迷子ですが何処でも良いから地下鉄の駅を教えて下さい」に居合わせた人まで大笑いしてしまった。
高橋翁公園の南側のカナダ大使館公邸の南東隅辺りが、この一角では一番低い(石垣は高くなる)のと風向きで一番観察に適した場所だった
斜めの刷毛で線を引いた様な模様が、房州石や伊豆下田付近の凝灰岩の特徴で、見分けが一番難しい岩相なのです。
酸化で淡いピンク色になった軽石の塊は房総では「桜目」と云い風化にも強いので珍重されるのだが、三浦半島にも、伊豆の下田市内にも似たものが有る。
これは、房州石の胎胚層である黒滝層の下の萩生層で良く観察される軽石の状態。
細砂からシルトサイズの泥の層はやはり黒滝層の最下部辺りに良く見られる地層
礫の中に、やや伊豆半島側を示唆する様な礫が見られるけれどイマイチしっとり来ない礫層
採掘者の目印の一つ、房州石ならば最後の石切り職人と言われた金谷の鈴木翁(最近亡くなられた)の芳家石材さんを示している。
これは二本線。伊豆でもかなり沢山の記号が記録されている。ここの石垣は横須賀辺りで「ブラフ積」と呼ばれている細長い切石を積む際の工法の原形の様なもので、千葉県内では伊豆の軟石にも使われている手法なので、時折、木口に記すこのような記号が観察出来る。
南東隅の角の部分は芦野石の切石で改修されている。この画像の右隣は富山県会館だがその石垣も同じ石材で積まれているが、大部分は塀に囲まれて観察出来ない。江戸時代の藩邸等の区割りに際して築かれたかもしれない。
芦野石のレンズが潰されて平らになった部分が旨く撮れた
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