草加市神明一丁目の日光街道から路地を入った先に「三社大神」と云う小さな神社があります。街道筋の無料の休息所「新明庵」横の路地を入った場所です。
神明庵(旧大津屋)所縁の氏子総代さんと町内の十数軒の氏子さんがこの神社を支えられています。一部の地図にしか記載されていないので、私もたまたま川沿いの道を歩いていて見つけたのですが、神社の基壇は大谷石の風化で全体に少し傷んだ状態でしたが、伊豆の石灰質凝灰岩と火山角礫を含む緑色凝灰岩の間知石に支えられていました。
画像はごく最近撮影した基礎の改修後のものです。
初めて此処を訪ねた時に、這い蹲る様な姿勢で伊豆の石材を撮影していると氏子総代さんから声を掛けられました。話を端折ると、総代さんに基礎の部分を改修するのであれば、出来れば全てをコンクリートで固めるのではなく、一部だけでも礎石を再利用するか、せめてその石材の一部を境内に保存して、伊豆の石材が船で運ばれて草加の街に来ていたという一つの歴史の刻みを残してほしいと言う希望がかなえられたのです。
草加の街を歩く機会がありましたら、伊豆の緑色凝灰岩を礎石に残して下さったこの小さな神社を訪ねて頂ければ幸いです。
改修後の礎石の部分の画像です。風化が激しい淡褐色の石灰質凝灰岩は、交換用の石材が手に入らないので、これに似せた花崗岩をお使い頂きました。緑色凝灰岩の間知石はそのままお使い頂いています。
改修前の石灰質凝灰岩石材と角礫を含む緑色凝灰岩です。石灰質凝灰岩はかなり風化してこのままでは再利用できない状態でした。
石灰質凝灰岩の代わりに御使い頂いたのは花崗岩の中の鉄鉱物が錆びて良い雰囲気を醸しだしています。チラッと見ると石灰質凝灰岩にも見えないでもありません。
総代さんと石材の話をさせて頂く事になった切っ掛けは、この隅が割れてしまった、通称「みどり」と石工さんから呼ばれていた緑色凝灰岩の神社額でした。製作年代は刻まれていませんでしたが、草加市内と周辺地域の石材調査の結果、これが草加の著名な「石工 青木宗義」の二代目によって慶応元年に製作したものだと付き止めて、総代さんと青木石材さんにご報告させて頂きました。
角礫混じりの緑色凝灰岩の拡大図です。画像の横幅は 10 cm です。下の画像は縦寸法が 40 mm です。様々な色合いの岩片が含まれています。勿論、大きな礫も入っています。
境内の句碑です。最初に訪問した時にはこの句碑は横倒しに伏せた状態でしたが、後に起こした時に側面に刻まれた慶應の年号から、これが本殿の慶應の改修時に建てられたものだと判りました。句碑の石材は箱根の根府川溶岩です。表面に直ぐ傍の本小松石には見られない細かな流離模様が観察されます。
神社額を製作ばかりか、草加で優れた石造彫刻を残している「石工 青木宗義」の御子孫は、この近くで現在まで歴史を紡ぎながら石材店を営んで居られます。その石材店の片隅にこの「狛犬」が埃を被って置かれています。実はこの石材も神社額と同じ石材の「みどり」が使われています。機会が在れば、この狛犬を綺麗に洗って、美しい緑の狛犬の写真を撮影させて頂こうと考えています。
以上
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