2018年4月8日日曜日

五十里湖ダム

丁度、1年ほど前にも、この五十里湖の事を投稿しているのだが、五十里ダムは昭和25年着工、31年竣工の洪水調節と農業用水確保の為のダムで、66世帯404名の地元の方々の立ち退きと、28名の工事関係者の命と、当時の48億円の巨費を投じて完成したものです。
私がこのダムに興味を持ったのは、ダム湖が途中で屈曲し、湯西川と男鹿川に分かれる辺りの地名「海尻」に気付いてからのことです。



土砂崩れ、山体崩壊等により河川が堰き止められて海の様な湖水が「自然堤防」により形成された時に、しばしばこの「海尻」が使われ、大石さんが案内して下さった「八ヶ岳火山OFF会」の時は「湖尻」だったか、ご説明を頂いている。
一方、私のフィールドの千葉県内には、例えば大佐倉等にある「土と生きる」石碑に「日光赤水」等の洪水被害の記述が有る。

この五十里湖付近は、会津街道が通過していたのだが、天和三年(1683)の日光大地震で山体崩壊が発生しダムが出来て街道が使えず、街道が西側の「会津中街道」から「会津西街道」へと移動した経緯があり、享保八年(1723)年の豪雨で決壊し千人を超す死者を出す土石流が生じている。
現在、五十里ダムのドテッパラに穴を開ける作業が続いており、湖水は殆ど放水されて、広い面積が干上がっている。湛水を始めるにはまだ暫く工期が掛りそうなので、もう一度じっくりと行く事にして、先日、芦野に出掛けた帰途に素通りしてみた。
詳しくは、以下の画像と参考になりそうな、ブログやネットを幾つか調べていたのを御案内します。海尻付近から上流側を望む。この付近は滞砂が多く、冬季のやや渇水時期とあまり変わらない。

下流側の海尻橋方面を望む。この付近から本当の湖底地形が観察出来る様になる

ダムの堤体に穴を開けている工事風景

ボーリングの現場

展示された堤体コンクリートのボーリングコア

下野新聞「湖底あらわに 五十里ダム、17年ぶり工事で抜水 日光」動画有
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20171107/2866526/articleimage/71106ikariko07_R
ダム便覧:五十里ダム
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0559
国土交通省五十里ダム!
https://twitter.com/mlit_ikari_d
しまった!期間限定ダムカードが在ったのだ!
五十里洪水の伝高木六左衛門の墓の記事が掲載されているブログ
https://ameblo.jp/nikko-utsunomiya/entry-12334740143.html
日光砂防事務所:日光詩話:江戸災害年表
http://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/sss/shiwa/saigai/nenpyo.htm
激動とともに生きる 五十里
http://www.pref.tochigi.lg.jp/h53/system/desaki/desaki/1182249442395.html
以上

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