一昨日に越谷の大相模を歩いた際に、元荒川に近い日枝神社で白い軽石と黒い小岩片が目立つ凝灰岩が神社の玉垣の基礎に使われていた。
似た様なものは大磯から箱根や沼津辺りにもあるし、宮城県の野蒜周辺にもいくらでもあるので、明治四拾年(奉献者芳名額の記載を最初は明治四年と読んだのだが、「四」の下の文字の一部が気になって画像処理を駆使して、剥離した跡の微かな痕跡を見ると「四拾」と読めた)。時代を考えると、いろんな凝灰岩産地の可能性が疑われて少し悩んで、再度、藪蚊対策をして接写で何か判断材料を探そうと今日出掛けてみた。
この神社の拝殿前の石垣の一部に、実は緑色岩の様な、でも無さそうな石材が有って、今日はこれもじっくりと観察しようと、時々来られる参拝者に遠慮しながら這い蹲って観察してみた。
結果は、がっかりするし、情けない、以前だったら、仲間が緑色岩が在るよ!と声を掛けて来たら、「先に周囲を見回してから喜びなさい!」等と反応していたのだが、神社の銅葺の屋根からの雨だれが旨い具合にその石材に沿って落ちるものだから、緑青が長年に亘って石材を染めて、全体が少し濃い緑色に見えただけで、実際は淡褐色の石灰質に富む凝灰岩だった。しかも、帰宅して画像を確認すると緑色だった等とは恥ずかしくて言えないようなものだった。接写で見付けた石灰質生物遺骸。
他にも、玉垣の礎石の端に、伊豆の凝灰岩が使われていたので、軽石混りの凝灰岩も伊豆~沼津附近の石材と考えて良さそうな雰囲気だった。左端が明らかに特徴的な伊豆の凝灰岩だった!
本日の撮影枚数202枚。最近、どうも、詰まらぬ事で判断に迷う事が多くなった。
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