一時間に多くて二本の運行の「パリポリくんバス」に、
今日はこれで何回目の乗車に成るのだろうと思いながら、中根二丁目でバスを降り、食品会社の駐車場を突っ切って鳥居に向かうと此処が、埼玉に妙に多く感じる「女體神社」。
こじんまりとした神社だが、珍しく本殿は大谷石造りの耐火構造。
燈籠がなんだか変な形だと思ったら、火袋や笠が無くて棹石は在るのだが、異様さを演出しているのは、本来地下に隠れている筈の土台石二段がコンクリート基礎の上に載っているのである。
伊豆の下田付近を主産地とする石灰質生物遺骸(コケムシ・紅藻類その他)の化石細片と凝灰岩が混じって斜層理を明瞭に示す石材だ。
圧縮には強いが引張には弱いこの石材らしく、斜層理の下側が層理に沿ってはがれて不思議な切石の形状を示している。
燈籠の建立は天保三壬辰十二月吉日だから1832年。石工は勿論、青木宗義だが、この時期は署名に使う文字数が何故か一番少なく、「石工 宗義」だけである。
ここ暫くの草加通いで、文化十年(1813)年から明治四十年(1907)までの、ざっと百年ほどの間の「石工 青木」の関わった石造物39点中の30点は金曜日で観察完了となりそうだ。追っかけはそろそろ卒業してデータを整理し、今回の追っかけの不思議な体験の切っ掛けを造って下さった、神明町の三社大神神社の氏子総代様ご挨拶に行こうかな?等と考えている。
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