暖かい日和に恵まれて三浦半島まで出掛けて来ました。久里浜のほんの少し北側に在る、千代ヶ崎砲台の第三砲座部分が最近発掘されて現場見学会(18日まで)に行って来ました。江戸から明治に掛けて東京湾周辺や湾口部に沢山の撃たない砲台をバカスカ造り続けた(存在が抑止力になった?)陸・海軍の遺構の中で、石材の使用に関する知識が向上し、石材の特性も徐々に明らかになるに過程で、「予算」の制約も受けながら、更に一方では石材に対抗してコンクリート技術も黎明期にあって、どの時代まで伊豆から凝灰岩質石材を採掘して来て砲台に使ったのか興味が在った。
①:今回発掘された第三砲台。奥の円型部分(手前は半分隠れている)に大砲が据えられていた。壁に設えられた凹みは砲弾を一時的に保管する場所。
②:大きさを認識する為に以前から整備されている第一砲座側から第三砲座側を眺めてみました。
③:巨大な石材を一体で運び込む事も出来ないのでこの様に分割して運び込み、この上に金属製の大砲や旋回装置が据え付けられた様だ。石材は勿論硬い雰囲気の岩石で或いは「閃緑岩」かもしれない。この手の岩石は判らん!
④:これがその石材の破断面。日照が強すぎて反射も強いので旨く撮影出来なかった。
⑤:砲座に使われた当時のコンクリートは「無筋コンクリート」川砂利を大量に、現在の骨材比とは比べ物にならないほど骨材が多かった。多摩川か相模川だと思う。
⑥:どうやら房州石らしい通路部分の擁壁。白く飛んでいるのは保護用のモルタルが残っている部分。
⑦:高い部分の石積みは房州石と違って、三浦半島の「鷹取石」の可能性が高そう。この部分の擁壁の笠石は安山岩が使われている。
⑧:これは残念ながら房州石か、三浦半島の黒色スコリア優勢の凝灰岩らしい。
⑨:房州石としてはやや妖しからぬ細礫が入っている切石。でも、房州石だろう!
⑩:帰途には新橋で途中下車して長崎料理の東京店の「吉宗:よっそう」で「皿うどん」で夕食。これが大好物!
以上
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