このブログで駅裏の露頭の画像を何処かで紹介したように記憶するのですが、念の為にその露頭の画像をここにも掲出しておきたいと考えます。戦時中は現東芝の前身が地下軍需工場を置いた場所です。但し、嫌な事に、ここにはかなり大きなスズメバチの巣がありました。
図は茂木町が設置した「立入禁止」の標識に書かれた地下工場の構造を示すものです。赤紫は部分的に埋め戻した範囲。青は崩落の危険があり除去した部分です。黄色の「公衆用道路」の意味が判らなくて周辺を探してみたのですが判らぬままでした(あるいはこの丘陵上の道路かも知れません)。採掘場内の車庫や家屋は数年前までは在りましたが現在は撤去されています。一か所調査用の開口部らしいものが設置されていましたがスズメバチが怖くて近寄れませんでした。
チョット外れた場所の崩落岩塊の破面です。堆積層はかなり水平ですが、岩相はかなり変化が有りますので、水流などで再堆積したものかもしれません。
崩落岩塊の一つに焦点をしっかり併せないで写した画像です。スズメバチ怖さに、スケールも置かなかったのですが、後でみると黒色岩塊らしいものが含まれて居ます。尤も、ここで岩石ハンマーを使ったら間違い無くスズメバチの攻撃を受けていたでしょう。でも、この岩塊のサンプルを取って来るべきでした。暫くは我慢せねば危険です。
以下の3枚の画像は「垣根掘り」の痕跡で、これが間違い無く石材の採掘遺構である事を示しています。
2 件のコメント:
宜しかったら、仮称「茂木石」のネーミングの由来を教えてください。
特段の由来は有りません。茂木で産出した石材を「茂木石」と呼んだと云う事です。当時は(明治~昭和初期)は、関東周辺の例を調べても、この地域や芦沼やもっと南に下った現真岡市の「磯山」等でも凝灰質の石材が採掘されていましたが、ほぼ、産出地の地名を石材名称としていた様です。ここで仮称としたのは、茂木石にも細分すれば、「高岡石」、「坂井石」、「大門石」等の呼称が在った事が知られているので、その何れかに該当するか、未検討の段階でしたので仮称としています。茂木町の教育委員会で資料を探して頂いたのですが、結局この点は判らないままです。真岡鉄道が下館~茂木まで開通すると水戸方面まで流通したとされています。
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