伊豆の石材が多いのは、恐らくこの岩槻の宿の成立時期が、まだ房州石が関東近郊に進出し始める前だった為に、入り込む余地が無かったのだろうと考えています。
更に、興味深いのは、その伊豆石も、近郊では岩相が異なる例えば青石等もあるのですが、殆どが此処に示すように斜交葉理がハッキリと観察され、しかも二枚貝やフジツボの貝殻細片や石灰藻等の生物遺骸が沢山含まれて居る事でした。
個人の住居も有り、最近は観察者のマナーが問われる事件も多い様なので、この様なブログで個人の住宅は少し特定出来ない様に配慮していく積りですが地元の方々には判ってしまう可能性は高いですね。でも、一つの街に、これだけ特定の岩相の伊豆石が存在する事は「事件」の様なものなので敢えてご紹介したいと考えます。
最初の画像は、明治時代の中頃には既に「和洋酒類」を販売していたお店の主屋部分の礎石に使われている下田市須崎から白浜付近に分布する「石灰質砂岩」の斜交葉理が鮮やかな画像です。この石材が街中に数多く目立たぬように使われています。
石材の長手寸法は65~80cm程度が多いですね。
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